大学って、どんな場所だと思う?

以前、「君とコーヒーを飲むのにXX年かかった」とか「貧困家庭からエリートが出るのはもう無理だ」みたいな記事をいくつか読んだのを覚えている。当時はそれを読んで、「まさにその通りだ、自分がずっと言葉にできなかった感覚を代弁してくれている」と強く共感したものだ。

それから数年が経ち、さらに多くの人と接するようになった今、改めて自分自身の視点で、この目で見てきたことを書き残しておこうと思う。

そもそも、大学って何のために行くところなんだろう?

私の両親はいわゆる「あの時代」の大学生で、それも211工程(重点大学)の出身だ。当時は師範学校に行くだけでも相当すごかった時代。子供の頃、母に「学年で何番目くらいだったの?」と聞いたら、母は誇らしげに「3番以内に入らなかったら、調子が悪かった時くらいよ」と答えてくれた。

私の知る限り、当時は進学する人自体が少なかった。多くの人が「工場二世」、つまり親の仕事をそのまま引き継げば、勉強しなくても一生安泰だと思っていたからだ。ただ、彼らは時代の変化を読み違えていた。結局、多くの人が時代の波に飲み込まれ、淘汰されていった。

私が大学に入る頃には、大学生の定員が大幅に増える「拡充」が始まっていた。卒業当時は、まだ企業もそこまで学歴至上主義ではなく、どちらかといえば個人のスキルを重視してくれていたので、私にとっては追い風だった。しかしその後、大学院生の定員も増え、IT業界が急速に発展すると、学歴競争(内巻)が激化した。さらに3年間のパンデミックを経て、多くの中小企業が倒産し、外資系企業も大陸市場から撤退していった。

こうなると、学歴と、それに付随する過当競争はひどくなる一方だ。まずは「211か985(超名門)出身か」が最優先され、大学院でも「学部の出はどこか」という、いわゆる「血統の純潔さ」が問われるようになった。

最近では、大学院生の数が大学生の数を上回る「逆転現象」まで起きている。じゃあ、次は博士号で競い合うのか?

正直、この国における「大学」の定義が、私にはずっとよく分からない。

大学は「技術を学ぶ場所」なのだろうか?

専門科目と民間スクールのカリキュラムは重なる部分も多いが、もし学歴というフィルターを外してブラインドテストをしたら、民間スクールの講師の方が大学教授よりよっぽど優秀だ。少なくとも民間スクールは、現場ですぐに使えるスキルを教えてくれる。

だから、大学を「技術を学ぶ場所」と呼ぶには無理がある。私は大学の専門を「独学や民間スクールで代用できるか否か」で分けて考えている。

例えば、建築、医学、農業といった、外のスクールでは学べない知識は、大学に行くしかない。でも、コンピュータ、デザイン、美術などは、外のスクールの方が教え方も内容もはるかに優れている場合がある。そうなると話は別だ。

では、大学は「学問を追究する場所」なのだろうか?

私の周りには、C9(トップ9校)の院生や博士、あるいはそこから海外へ出た友人、もちろん一般校の院生もたくさんいる。

勉強嫌いの私は、彼らにいつも「君たちが研究してることって、結局どういうことなの?」「その論文は何がすごいの?」「そのラボで受賞したやつ、中身は何なの?」と聞きまくっている。

だが、返ってくる答えに満足したことは一度もない。少なくとも、彼らの研究が実際にビジネスに応用されたり、世界を変えたりする場面にはお目にかかったことがない。

仲の良い院生の友人がいる。彼は研究室で一番のキレ者だ。といっても、私たちのコミュニティの中では特別ではない。ただ、彼の研究室は江浙滬(上海・江蘇・浙江)エリアのIT分野で最強と言われていて、その中で彼がトップなのは、周りの先輩や後輩があまりに仕事ができないからだ。ITの院生なのにプログラミングの基礎も分からず、Linuxも使いこなせず、環境構築すらできない連中ばかりなのだ。

ある晩、彼と「大学院に行く意味」について語り合った。彼に言わせれば、高校生レベルの知能のまま大学に入り、テストが終われば忘れるような大して重要でもない単位を揃え、推薦や受験で「大学院生」という肩書きにアップグレードするだけ。

中身は高校生のまま、3年間適当に授業を受け、他人の論文を読み漁り、既存の理論に「クソみたいな飾り付け」をして、さも世界を変えるかのような論文を書き上げ、学位を手に入れる。

私は彼に聞いた。「この前、君がラボで出した成果、上海のカンファレンスで発表してたし、国とも提携してたじゃない。あれはどうなの?」
彼は言った。「上海から来た審査員だって素人だよ。ハッタリが効けばいいんだ。国の機関だってただのサラリーマン。予算を使い切らないと次から削られるから出してるだけ。あのプロセスの中で、中身が空っぽだって知ってるのは俺だけだよ」

結局、大学とは何なのか?

地方から出てきた私にとって、都会の大学に行くことは「大都会に触れるチャンス」であり、大学はその街での「仮住まい」だった。日本に行く時の日本語学校のようなものだ。学校が本当に日本語を教えてくれるわけではなく、単に「留学ビザ」という猶予期間をくれているに過ぎない。

同じように、大学はその街での「在留カード」なのだ。そのカードの有効期限内に、何らかの手段で都会に生き残る術を見つけられなければ、結局は田舎に帰るしかない。

なぜ、貧しい家庭ほど「大学」を盲信するのか?

これまで何人もの大学生に「大学に行く意味って何ですか?」と聞かれた。彼らに「日本の在留カード」の例え話は通じない。彼ら自身、そんな世界を知らないからだ。でも会話を通じて分かるのは、彼らの親が大学に対して抱く信頼は異常なほど厚く、院生や博士という肩書きに対する執着はもはや信仰に近いということだ。

ある学生に「大学院なんて教授のパシリをして論文を出し、学位をでっち上げる場所だよ」と教えたら、彼は真剣な顔でこう聞き返してきた。
「もし、僕が本当に真面目に研究に取り組んだら、何か得られるものはありますか?」
私は答えた。「学部時代にすでに騙されてるのに、まだ大学院が救ってくれるなんて期待してるのか?」

こういう質問をする子の親は、たいてい大学を出ていないか、大学の仕組みをよく分かっていない。人は自分が経験したことのないものを美化しがちだ。そして、一度美化してしまうと、他人が突きつける真実を信じたくなくなるものなのだ。

人はどうやって一年、また一年と無駄にしていくのか

今日は2025年1月10日。毎年、年明けには「あぁ、いつの間にかもう〇〇年か」なんて言うけれど、去年の自分を振り返るのは正直気が引ける。自分の人生をあんまり突き詰めて考えすぎると、息が詰まっちゃうからね。

特別な事情のせいで、2020年から2023年までは「盗まれた時間」みたいに感じる。だから自分の感覚的な年齢は2020年で止まったままで、あれからもう5年も経ったなんて信じたくない。この5年、何をしてきた?いくら稼いだ?生活は少しでも良くなった?

周りの会社員の友達に聞いても、誰も答えられない。毎日毎日、会議、会議、ちょっと自分の作業をして、ご飯を食べて、帰って寝る。その繰り返しだから。彼らにとって「今が何年か」なんて大した問題じゃない。毎日が、毎週が、毎月が、そして毎年が、鏡合わせみたいに同じだから。

そう考えると、人の持つ「時間」って実は平等じゃないんだよね。理論上は誰にでも1日24時間あるけれど、会社員は朝家を出た瞬間から、時間は自分のものではなくなる。夜7時に帰宅して、11時に寝るまでの(健康的な生活だとして)たった4時間だけが、ようやく自分の時間。睡眠時間はカウント外だ。

つまり、会社員にとっての1日は24時間じゃなくて、たったの4時間。言い換えれば、月に22日働いて8日休むとしたら、休みの日の活動時間を16時間としても、1ヶ月で自分のために使えるのは 4×22 + 8×16 = 216時間。本来なら1ヶ月に480時間は自由な時間があるはずなのに。

おまけに、仕事の疲れや、空いた時間の過ごし方を考える精神的な余裕っていう変数も関わってくる。

だから、卒業して社会に出ると、みんなの時間は少しずつズレ始める。老け込むのが早い人もいれば、ずっと若々しいままの人もいる。

前にこんなことを考えた。5000万円でマンションを買って、30年ローンを組む。なぜ家を買うのか聞くと、「戸籍、子供、学校、自分の城、自由にリフォームできる、資産になる、安心感」なんて答えが返ってくる。

でも、その人はその家を、一体どれだけの時間「享受」できているんだろうね?

普通の家庭から大学に進んだ子たち

この記事では、ここ数年、歴代の大学生たちを見てきて感じたことや考えをシェアしたいと思います。あくまで個人的な見解ですが、分析についてはできる限り中立な立場で行ったつもりです。

情報は、身近なHR(人事)、大手企業の役員、外資系の役員、大学院受験生、職業訓練業界などから集めたものと、自分自身の経験を整理したものです。

対象はIT系の大学生、および他業種からITへ転向した大学生に限定しています。他の業界については、統計的な判断を下せるほどの情報がないためです。


2013-14年:ITオタクのロマンと向上心

2013年から14年頃を振り返ると、当時は「三本(中堅以下の私立大)」の学生でも、技術に対してかなりストイックな追求心を持っていました。当時は「人人網(レンレンワン)」というSNSが流行っていて、例えばC++をマスターすると決めた学生が、自分の名前の後ろに「李明cpp」みたいに付け足したりしていました。ITオタクらしいロマンというか、自分を追い込むモチベーションにしていたんですね。

当時の学生はとにかく勤勉で、「良い仕事に就きたい」という意欲が非常に高かった。自力で技術を深掘りするタイプも多かったです。当時知り合った技術系の友人たちは、今では誰もが知る大手アプリ企業のシニアマネージャーや技術職として活躍しています。

当時は「三本卒だろうが、本人がやる気になって技術を磨けば、まず食いっぱぐれることはない」という空気感がありました。


2015-18年:忍び寄る「積みゲー」的な学習スタイル

2015年から18年頃になると、人人網は廃れ、WeChatが主流になりました。ただ、大学生の間では依然としてQQが主な連絡手段でしたね。

この時期の学生もまだ技術への追求心は持っていましたが、後半になるにつれて「形だけの学習」が増えてきた印象です。ネットの教材を買って百度雲(クラウド)に保存しただけで、勉強した気になってしまうようなタイプです。

仕事探しの難易度が少しずつ上がり始めたのもこの頃です。敏感な学生は海外、特にヨーロッパへ「箔付け」の修士留学に行き、そのまま現地で就職(潤)する道を選び始めました。今振り返れば、2018年前後のこの選択は非常に正解だったと言えます。

一方で、IT大手の採用枠はまだ健在でしたし、IT以外の伝統的な実業も好調でした。ITから実業に転身して年収200〜300万元(約4000〜6000万円)稼ぐような友人もいて、まさに「百花繚乱」の時代。当時は、ここが多くの業界にとってのピークになるとは夢にも思いませんでした。


2019-21年:ショート動画の台頭と「寝そべり族」

この時期は、ピークからコロナ禍の3年間へと突入するカオスな期間です。

2019年あたりから、211や985(中国の超名門校)の学生であっても、明らかに「質」が落ちたと感じるようになりました。偏差値に関わらず、誰もがTikTokや快手などのショート動画に没頭し始めた時期です。

私の観察では、ショート動画の台頭と大学生の全般的な思考力の低下は、驚くほど時期が一致しています。

この頃から「擺爛(投げやり)」「躺平(寝そべり)」といったネガティブな言葉が流行りだしました。単なるネット上のネタかと思っていましたが、彼らは本当にそれを「知行合一」で実践してしまった。将来何をしたいのか分からず、何かに取り組ませようとしてもハードルが異常に高い。企業側は「人がいない」と言い、学生側は「仕事がない」と嘆くミスマッチが深刻化したのもこの時期です。

また、都市部の不動産価格がピークに達し、「今買わないと一生買えない」という強迫観念が社会を覆っていました。かつての「親のスネかじり」という批判も消えました。地方から都会に出てきた若者が家を持つには、親族総出で頭金を工面する「6つの財布」を空にするのが当たり前になったからです。

そして、経済の熱狂が頂点に達したところで、コロナがすべてを一変させました。


2022-2024年:スマホ世代の「PC音痴」と極端な思想

この記事を書いているのは2024年11月。コロナが明け、日常が戻りましたが、今の大学生はさらに変化しています。

彼らの思想は非常に「紅(保守的・愛国的)」になり、自分たちの考えと少しでも違う意見には一切耳を貸さない傾向があります。その一方で、実務能力は極めて低い。

私たちの世代は、学校のパソコンの授業でソフトのインストールやタイピングを教わりました。「21世紀を生き抜く鍵は英語とパソコンだ」と叩き込まれたからです。

しかし今の世代は、物心ついた時からスマホやタブレット。学校教育も標準的なカリキュラムのみ。その結果、IT専攻の学生であっても「パソコンの使い方がわからない」「タイピングができない」「ソフトをインストールできない」という子が続出しています。まるで近所のおじいちゃん、おばあちゃん状態です。

昔、「ネットサーフィンのやり方」を教える塾で大儲けした人がいましたが、今またその手のビジネスが必要とされる時代が巡ってきたのかもしれません。


💡 まとめ

現在、私たちが接する大学生の学歴(偏差値)はどんどん上がっていますが、全体的な実務レベルは数年前の三本卒の足元にも及びません。

これはあくまで私の長年の観察結果であり、その原因を深掘りするつもりもありません。個人にできることは何もないからです。賢い相手には賢いなりの、愚かな相手には愚かななりの戦略で向き合うだけです。

さて、そろそろ仕事(トレード)に戻ります。

あの時、院試を受けなかった自分に感謝

ここ最近、就職や失業の話題が持ちきりだけど、正直かなり重いテーマだよね。原因は多岐にわたるけど、結局は大学入学後の人生の選択の積み重ねだし、中年に差し掛かってから気づいても、手遅れなケースがほとんどだから。

大学時代の観察

大学の頃の僕は、わりと外の世界と接点を持つのが好きなタイプで、1年の時から自分のスキルを武器に、現場で10年以上やってるエンジニアたちと交流してた。自分の力不足を痛感しては対策を練り、信頼できるスクールに通ったり独学したりして、ベテラン勢にも一目置かれるくらいには食らいついていったんだ。

でも、同年代の連中は僕のこういう動きを冷ややかな目で見てた。「親に大学まで出してもらって、勉強以外に何があるの?」っていう思考停止状態。

彼らは「大学」という狭い枠に縛られていて、ある単純な事実に気づいていなかった。もし大学の先生が本当にテンセントで年収1000万円以上稼げる実力があるなら、わざわざ大学で教鞭なんて執るわけないでしょ?社会に出たことも、まともに働いたこともない人が、どうやって高給取りになるための指導ができるっていうの?

僕は情報工学系だったから、デジタル回路とか信号処理とか、退屈な講義も多かった。正直、1年の時点で「これ、いくら極めても将来役に立たないな」って直感してた。

だから、現場を知るベテランや、大手に入ったばかりの友人に「仕事で本当に必要なものは何か」「どんな奴が現場で重宝されるのか」を徹底的にリサーチした。この時の「思考の差」が大きな情報格差を生んで、今、当時の同級生の多くが減給や失業に苦しんでいるんだと思う。

僕にとって大学に行く目的は「お勉強」じゃなかった。地方から大都市に出てきて、そのプラットフォームを利用して業界のキーマンと繋がり、的確なアドバイスをもらうことだったんだ。

もし大学の講義だけで通用するなら、イェールの公開講座を観れば誰でもイェール卒と同等のレベルになれるって理屈になっちゃうでしょ?


家庭環境の影響

学習意欲や視野の広さは後天的に鍛えられるかもしれないけど、やっぱり家庭環境の影響は絶大だと思う。

僕の両親や親戚は、いわゆる「古き良き時代の大学生」で、当時は就職も斡旋されるような時代だった。時代の波に乗って順風満帆な人生を送ってきた人たちだから、僕の教育に関してもわりと放任主義だった。

おかげで、幼い頃から大人の会話を通じて世渡りの術や裏話、偏見に満ちた本音まで耳にする機会があった。

特に「アカデミックな世界」の裏側は興味深かった。親戚に誰もが羨む名門校の副教授がいたから、学術界の「残りカス」みたいな話もよく聞いたんだ。

例えば、大学院の指導教官の中には、実は実力がスカスカで、金に物を言わせて論文を量産しているような人もいる。彼らなりの互助会みたいなコミュニティがあるらしい。ひどい話になると、親戚が電話してる相手の教授は、パソコンのキーボードすらまともに打てなかったなんてことも……。

彼らは学界にいることを誇りにして、実務的な技術を「低レベルだ」と見下す傾向がある。僕の大学の先生も「C++さえやればいい。PythonやJavaなんて頭の悪い奴がやるもんだ」なんて言ってたけど、まさにそれ。

でも、いざC++の実務開発について聞くと、何一つ答えられない。ボロが出そうになると「俺は〇〇プロジェクトで〇〇賞を取ったんだぞ」って権威でねじ伏せてくる。

そのプロジェクトだって、審査員をやってる親戚に言わせれば、チームの誰も中身を理解してないような代物だったりする。ドラマ『潜伏』の「口では主義を語り、腹では商売を考えている」っていうセリフ、本当に言い得て妙だよね。

僕はこういう実態を小学4年生で知ってしまった。中学の時、その親戚に「大学に行ったら、教授を軽んじるな。だが、崇めることもするな」と言われた。当時は当たり前のことだと思ったけど、実際に彼らと対峙してみて、ようやくその言葉の深い意味が理解できた。

そんな環境で育ったから、論文の数でマウントを取るような「自称大物」には全く興味が持てないし、院生や博士のレベルにも懐疑的になった。社会に出てさらに広い世界を見ても、その感覚は間違っていなかったと確信している。


社会に出てからの視点

卒業後、親からは院進や公務員を勧められたけど、僕には合わないと思った。

みんなが院進を勧める理由はだいたいこんな感じ:

  • 学歴への不安? 学部生が増えれば院生も増える。結局いたちごっこでしかない。学歴のラダーで競い合うほど無意味なことはないと思う。 もちろん、大卒と高卒・専門卒では住む世界が違うのは事実。受験というフィルターは、ある程度「地頭」の選別として機能しているから。でも、旧帝大クラスの研究室を見ていても、論文を数枚読んで「クソみたいな重箱の隅をつつく」ような研究をしたところで、学部生より知識が深まるとは思えない。 院卒のプログラマになったからって、ifswitchの実行速度が速くなるわけじゃないでしょ?会社に入れば結局はルーチンワークだし、1年の実務経験を10年繰り返すだけの人も多い。学歴コンプレックスなんて持つ必要はない。

  • 院卒の方が昇進が早い? 学歴を極端に重視する一部の外資系を除けば、まずは「人間力」で勝負できるポジションまで登り詰められるかを心配した方がいい。

  • 周りがみんな行くから? そんな理由で行く奴は、結局自分が何をしたいのか分かってないだけ。

人生の分岐点では、自分が好きな道を選べばいい。もし迷ったら「やりたくないこと」を消去法で除いていく。そうしないと、得意でもなければ好きでもない道を歩む羽目になる。

大学も、学位も、教授も、過度に神格化する必要はない。彼らもただの人間だ。表に見せている顔の裏で、どんな手を使っているかなんて分かりゃしないんだから。

人生は一度きり。自分らしい生き方を選ぼう。あんなに苦しい思いをしてまで、不毛な競争に巻き込まれる必要なんてないんだから。

ライブコマースって、なんでみんな買っちゃうんだろうね

子供の頃、学校から帰ってテレビをつけると、だいたい午後5時くらいだった。その時間はアニメやウルトラマンが始まるのをワクワクして待っていたんだけど、テレビでは決まって通販番組が流れていたんだ。

ぼんやりとした記憶の中に、いくつか定番の商品がある。「ハーツ五行針」、バストアップの「ランドン正宗美乳宝」(子供心にこのCMは大好きだった)、傷跡を消す「ランドンEXラベンダーエッセンス」、ハンマーで叩いても壊れないスマホ、あとは名前も思い出せないような怪しいサプリの数々。

通販番組の司会者(だいたい男女のペア)が必死に商品を売り込んでいるのを見て、小学生ながらに「あ、こいつら嘘ついてるな」って分かったんだよね。当時の善悪の基準はすごく単純で、直感的に「こいつらは人を騙す悪者だ」って思ってた。

子供ながらに彼らを「悪者」だと断定した理由はいくつかある。

  1. 商品に対して自信満々すぎること。ノーベル賞でも取れるんじゃないかってくらいの勢いだけど、当時の中国の技術力を考えれば、その自信こそが逆に「詐欺」っぽく見えた。

  2. 注文の電話が鳴り止まない演出。みんな本当にテレビの前でスタンバってて、「3、2、1、スタート!」の合図で一斉に電話をかけるなんてこと、本当にあるのかよ?って。

  3. そんなに良い商品なら、なんでデパートに置いてないのか。テレビ通販は省全体や全国に流れているのに、デパートのオーナーが仕入れられないほど特別なものなんてあるわけない。

  4. 当時、友達と『十万個のなぜ(科学百科)』を読んでいて、少しだけ科学の知識があった。彼らが語る「最新技術」や「自然の力」は、本に書いてあることと矛盾だらけだった。そうなると、どっちかが嘘をついていることになる。……間違いなく、彼らの方だ。

  5. 何より、俺がウルトラマンを見るのを邪魔してたから。

これは僕が日記に書き留めていた、小学生の頃のテレビショッピングに対する考えだ。たとえ売っているのがおもちゃや「頭が良くなる」なんて謳う怪しいサプリだったとしても、僕はこれっぽっちも買いたいとは思わなかった。だって、あいつらは詐欺師だから。

大人になってからあちこちで話を聞いてみると、当時は本当にたくさんの人が毎日テレビの前で大セールの瞬間を待ち構えていたらしい。僕が当時と同じ疑問を彼らやその親たちにぶつけてみると、親たちは「そんなに深く考えてないよ、良さそうだから買っただけ」と答えた。

その「良さそうだから買った」という言葉を聞いたとき、僕は彼らの家庭環境とそれがどうしても結びつかなかった。僕が調べた限り、彼らの家はどこも決して裕福とは言えなかったからだ。

いつからか、TikTok(抖音)やKuaishou(快手)が流行り出した。出始めた頃、僕もアプリをダウンロードしてみた。初期の頃は、主に犬や猫を飼っている投稿者を見て「エアペット」を楽しんでいた。

そのうち、美女や露出度の高い動画が流れてくるようになって、それもまあ悪くないなと思った。でも、だんだんと退屈になってきた。親指一本で画面をスクロールするだけで得られるような快楽には、あまり興味が持てなかったんだ。それで結局、アプリを消した。

しばらくして、ニュースでヴィヤ(薇娅)やリー・ジャーチー(李佳琦)といったインフルエンサーの名前を知った。ライブコマースで商品を売り、一般人には想像もつかないほどの大金を稼いでいるという彼らの物語を耳にした。少しずつ「何かがおかしいぞ」と感じ始めたけれど、まあ、トップセールスマンが稼ぐのは筋が通っているし、そこまで驚きはしなかった。

もちろん、アルゴリズムはヴィヤやリー・ジャーチーの次に、シンバ(辛巴)やシャオヤン・グー(小楊哥)といった面々を僕に勧めてきた……。その時、僕は気づいたんだ。このインターネットの世界には、僕には到底理解できない領域があるのだと。

最近、いわゆる「東北風(ドンベイフォン)」の泥臭いライブ配信がどんなものか、実際に見て、知って、理解しようと試みてみたんだ。ガズ(謝孟偉)やパンズ(潘長江)の配信ルームも覗いてみたよ。

そこで得た、泥臭いライブコマースと購入者に関する偵察・分析情報をシェアしようと思う。もちろん、TikTok(抖音)や快手(クアイショウ)はもうアンインストールしちゃったけどね……。

ライバーについて

個人的な感想だけど、多くのライバーはあまり教育を受けていないように見える。もちろん、彼らの中にはそれを誇りにしている人もいる。別に学歴がないことをバカにするつもりはないけど、単純に彼らを見下している自分はいる。だって、言ってることといえば、いつも同じような語彙を叫んでいるだけだから。

董宇輝(ドン・ユーフェイ)タイプ

新東方の株価暴落後、ライブコマースで自救を図った中から出てきたのが彼だ。知識を広めるスタイルで有名になり、「バイリンガル+ネタ+意識高い系トーク」で、自分より学歴の低い他のライバーたちをうまく出し抜いた。

新東方の政治的な動きのダサさはさておき、中卒レベルがざらなライブコマース界隈で、彼は一筋の光だった。まあ、その光もそれほど明るくはないし、配信中に「さっき百度で調べたことを自慢げに話す子供」みたいな既視感はあるけど、マシな方ではある。

辛巴(シンバ)と小楊哥(シャオヤンゴー)タイプ

この二人の配信ルームにいる視聴者は、正直言って国内でもかなりレベルが低い層だと思う。一体どんな社会階層の人たちなんだろう。安っぽいスタジオで、東北訛り全開で「家族のみんな(家人们)!」と連呼する。

ただ、彼らの成功は、この国の多くの低所得層がその手に引っかかり、全く必要のないゴミを買わされるという現実を証明している。

この手の東北系ライバーの特徴は「弟子を取る」ことだ。昔、趙本山のグループが封建的な土下座の儀式をさせていたけど、今や「軽工業はTikTok、重工業はバーベキュー」と言われるほど衰退した東北では、まだあのアナクロなやり方が通用するんだろう。

北方の人たちは体制内(公務員など)に入るのが大好きだけど、試験が難しくて入れないゴミみたいな連中が、彼らの「商業帝国」に入ることで、まるで体制内に入ったかのような錯覚を楽しんでいる。その「体制」の中では、女弟子への枕営業みたいな「お楽しみ」も当然あるだろうね。体制化された組織の病理だ。

彼らは「家族」のおかげで巨大化し、今や堂々と偽物を売っている。今後、大規模な食品安全問題が起きても、政府や裁判所はその規模ゆえに彼らの味方をして、告発者を「騒乱挑発罪」で黙らせるんじゃないかな。

パンズ・ガズタイプ

芸能人が金を稼ぐのは普通のことだ。ベテラン俳優もプライドを捨てればパンズのように「チャンスを掴める」。

ただ、あんな何流かもわからない芸能人が売る、十数元のキラキラした安酒を信じて買う連中は、一度病院で脳の検査を受けたほうがいい。

李佳琦(リー・ジアチー)タイプ

彼は面白いケースだ。ルックスは一般的に見れば整っている。ライブコマースにカーストがあるなら、彼の視聴者は上位にいるだろう。

でも、彼が「自分の給料が上がらない理由を考えろ」と「集美(お姉様方)」たちに言い放った時、彼女たちはようやく自分が彼らにとってどんな存在か気づいたんじゃないかな。

購入者について

昔、近所の人がテレビショッピングでゴミを買わされているのを見て、「情弱だな」と笑っていたのを覚えている。

その情弱ビジネスがスマホに移動しただけだ。親をバカにしていた世代が、今やスマホでライバーの叫び声を聞きながら、同じレイアウト、同じ手口で買い物をしている。

上の世代が安いものに固執するのは、飢えの記憶があるからかもしれない。でも今の世代が安い粗悪品を買って喜んでいるのは、単なる「攻略」ごっこだ。

結局、どの世代になっても、人間の本質は何も変わらない。

 

 

仕事なんて時間の無駄だよ

これはあくまで僕個人の意見。中には、仕事で本当に世界を変えたり、地球を動かしたりできるような凄い人もいると思う。将来会社が上場してニュースになるような、そんなレベルの人なら話は別だけど。そういう人はどうぞスルーして。起業の成功を心から祈ってるよ。

あと、ここで言う「会社員(サラリーマン)」の定義はかなり広い。これから書くのはあくまで僕の考えであって、僕が嫌いだからといって他人がやらないわけじゃない。世界は多様だからね。

そもそも、何のために働いてるの?

お金のためでしょ?それ以外にある?まさか本気で、社長が一日も早く高級車や豪邸を買い替えられるように貢献したいなんて思ってないよね?

一般的な会社員の一日

一、二等地に住む会社員の典型的な朝は、だいたい8時頃に目が覚めてスマホをチェックすることから始まる。時間に余裕があればダラダラして、ギリギリなら慌てて準備して電車や車に飛び乗る。

会社に着いたら同僚と適当に挨拶して、今日のタスクや締め切りを確認。修正が終わらない企画書を前に、同僚とぶつくさ文句を言いながらパソコンを叩き始める。

昼休みになれば、また文句を言いながらランチへ。「クライアントは何も分かってない」なんて愚痴をこぼしながら。

食後は昼寝かスマホ。午後は……会議、眠気、終了、退勤、帰宅。これで一日が終わり。

これを何年も繰り返して、履歴書には大して重要でもないプロジェクト経験が増えていく。本人はそれで「一人前のホワイトカラー」になったつもりでいる。

大人が「デスク」と呼ばれる場所に縛り付けられて、何年も毎日同じように時間を浪費することに耐えられるなんて、僕には正直理解しがたい。

彼らが失っているもの

1. 住居の利用効率 もし君が賃貸派で、月に8万円払っているとしたら、そのお金は実質「朝晩と週末に寝てシャワーを浴びる場所+荷物置き場」のためだけに払っているようなものだ。それ以外の時間、家は空っぽ。

持ち家だとしても、一生かけて数千万円払って手に入れた城が、結局は寝るためだけの場所になっている。人生の大部分は会社に「売却」しているから、自分の家なのに滞在時間は極めて短い。これじゃあ、長期滞在型のホテルと大差ない。

2. 家族との時間 ほとんどの会社員にとって「ワークライフバランス」なんて夢のまた夢だ。例えば親との時間。

18歳で大学に入って家を出てから、親と一緒に過ごした時間を合計してごらん。1年も満たないんじゃないかな?なぜかって?君の人生は会社に寄付してしまったから。 (まあ、親や親戚と過ごすのが嫌いな若者も多いだろうけどね)

3. パートナーとの時間 苦労してパートナーを見つけても、一日の大半を一緒に過ごすことはできない。二人とも自分という存在を会社に売っているから。

一緒にいられるのは、朝起きてからと、疲れ果てて帰ってきた夜、それと週末、あとはたった数日の有給休暇だけ。まるで二段ベッドで暮らす寮生同士が、それぞれ別々に働いているようなものだ。

4. 病気へのリスク 人は誰でも老いる。金持ちも貧乏人も関係ない。会社員にとって、親や子供が病気になったら休みを取らなきゃいけない。子供が近くに住んでいればまだいいけど、親が遠くにいたら?

治療費だけでなく、長期の看病が必要になった時、ずっとそばにいてあげられる?休みが続けば、会社での立場はどうなる?

定年延長について

若いうちは血気盛んで、老後のことなんて考えもしない。でも、真剣に考えてみてほしい。

  • 君のその仕事への態度、そして会社のレベル。その会社はあと何年持つ?
  • 会社が倒産した時、君は何歳?貯金は?どれくらいの期間、無職で耐えられる?
  • もし会社が潰れて、新しい仕事が見つかる?これからの若者やAIに対して、君の武器は何?
  • 50歳で突然リストラされたら、次は何をするつもり?

君には何が残る?

「996(朝9時から夜9時まで週6日勤務)」で働き、パワハラに耐え続ける人の心身はどうなるだろう。

毎日会社でデリバリーの弁当ばかり食べていて、将来も健康でいられる自信がある?

君の給料の伸び率は、インフレや経済の減速スピードに勝てている?

老後に人生を振り返った時、何をしたと言える?社長に別荘を何軒かプレゼントして、会社から「やる気」という名の空手形を掴まされただけじゃないのか?

君が手に入れた「栄光」や「名誉」とやらは、ただの安っぽい表彰盾一枚に過ぎないんじゃないか?

働かない理由

初めての仕事

大学を卒業して最初の仕事は、上海・陸家嘴にある某銀行のIT部門だった。

でも、上海に行くのはそれが初めてで、右も左もわからない状態。まずは家探しからだった。周知の通り、上海で部屋を借りるのは至難の業だ。一番の理由は家賃の高さ。自分に合っていて、かつ予算に見合う物件なんてそうそうない。

初出勤の日、遅刻は厳禁だ。自分なりにかなり早起きして、卵2個と牛乳1杯を流し込み、ノートPCを担いで地下鉄に飛び乗った。地下鉄が上海の街を駆け抜けるたび、どの駅からも人がなだれ込んできて、車内はすし詰め状態。幸い、僕は遠くに住んでいたから座ることができた。

隣に座っていたのも若い男の子で、ノートPCを開いて何かを眺めていた。技術ドキュメントだろう。年齢も僕と同じくらいに見えたし、きっと彼も新卒なんだろうなと思って、声をかけてみた。「よお、君もエンジニア?」

彼はちらっと僕を見て、「そうですよ」と答えた。お互いのスイスアーミーのバックパックとチェックのシャツを確認し合い、TCPの3ウェイ・ハンドシェイクが成立した。

僕は聞いた。「仕事中なの?」

彼は画面を見つめたまま、「いえ、勉強です」と言った。

僕は驚いた。「こんなに混んでてうるさい地下鉄の中で、勉強なんてできるの?」正直、こんなカオスな環境で勉強しようと思いつくこと自体、僕には信じられなかった。

彼は真面目な顔で言った。「ええ、少しでも進めたいんです。時間は大切にしたいし、学んでおいて損はないですから」

僕は相槌を打ったけれど、心の中にふと、ある思いがよぎった。「僕も将来、こうなっちゃうのかな?」

急に恐怖が込み上げてきた。こんな風にはなりたくない。ひしめき合う群衆を眺めながら、僕は初めて上海という街の、この息の詰まるような空気感に恐怖を覚えた。

働き始めてしばらくして、僕は仕事の意味、そして「なぜ働くのか」について考え始めた。

思考を整理してみよう。

子供の頃からずっと、僕の主な目標は「しっかり勉強して、いい成績を取ること」だった。すべてはいい大学に入るため。いい大学に入るのは、いい仕事に就くため。いい仕事に就くのは、お金を稼ぐため。お金を稼ぐのは、都会で家や車を買い、奥さんをもらうため。

つまり、これまでの努力の目的をまとめると、結局は「金」という二文字に行き着く。

じゃあ、なぜ「雇用」されて稼がなきゃいけないのか? それは僕が生産手段を持っていないからだ。だから誰かの下で働くしかない。新卒が社畜になる理由は、生産手段を持っていない、ただそれだけのことだ。

では、一生懸命働いて昇進できる確率はどれくらいか? 周りの同僚を観察した結果、大したことはないという結論に至った。じゃあ、やりたくもないこと——上司との飲みニケーションや、おべっか、世渡り上手なマナーや「高いコミュ力」とやらを身につける必要があるのか? 答えは、イエスだ。だから僕は会社員に向いていない。そんなことしたくないから。

じゃあ、自分を追い込んでコミュ力を磨けるか? 上司に気に入られるような可愛い奴になれるか? 無理だ。僕は嫌なことはしたくないし、自分に嘘をつくのもごめんだ。これが、僕が辞めるべき理由だった。

辞めた後、どうする? 収入がなくなって、本当に幸せになれるのか? それはわからない。今より良くなるかは不明だけど、少なくとも「自分の嫌いな自分」にはならずに済む。そう確信して、僕は潔く辞表を出した。

辞めた後、どうやって食っていくか。

当時の僕は、毎日早起きしたくなかった。早起きは心身の健康に悪い。コミュ力なんて高めたくなかった。バカだと思った奴とは口をききたくない。周りに無能な同僚がいてほしくなかった。アホと同じオフィスにいたくなかった。だから辞めた。

正直、辞めた直後の無収入はきつかった。毎月の家賃も払わなきゃいけない。僕は自分を追い込むのが嫌いだから、シェアハウスなんて選ばずワンルームを借りていた。家賃は当然高い。仕事がない状況で、これはかなりの痛手だった。

そんな時、暇そうにしている僕を見かねた友人が、江蘇省の地方都市でのネットワーク構築プロジェクトを紹介してくれた。人生で初めて、1週間で8万元(約160万円)稼いだ。もちろん単発だけど、最高の滑り出しだった。その後、浙江省の仲間がネット関連のプロジェクトに誘ってくれた。2年後、僕は自分の街の都心に、キャッシュで1軒目の家を買った。……その後、2軒目も。

時々、誰かにこの話をすると、「仕事をやめるには勇気がいるよね」と言われる。客観的に見れば、僕は幸運だった。プロジェクトに誘ってくれる仲間がいて、いい話を共有してくれる友人がいたから。

でも、もしあの時辞めていなかったら、そんなチャンスに巡り合うことさえなかったんじゃないだろうか?

ある動画を思い出す。

「全ツッパ(シャーハ)!全ツッパだ!」

今の学校って、なんでこんなに疲れるんだろう

中国人が一番よく口にするのは、「どんなに苦しくても子供にだけは苦労させたくない」「どんなに貧しくても教育だけは妥協しない」という言葉だ。

つまり、子供が生まれた瞬間に自分は「弱点だらけの人間」になり、すべてを子供に譲り、何よりも子供を最優先にする。たとえ自分や子供が不当な扱いを受けたとしてもだ。

「不公平」と言っても、実はとても曖昧な言葉だ。少なくとも私たちが育ってきた環境では、親や教師と「公平さ」について議論する資格なんてなかった。結局、自分という「弱点」は外向けのものであって、内側(家庭内)では弱点扱いされない。だから親は、あらゆる道徳的な脅し(モラルハラスメント)を使って子供をコントロールしようとする。

「苦労してこそ、ひとかどの人間になれるんだ」

「せっかく苦労して学校に行かせてやってるのに、その態度はなんだ?」

「お父さんとお母さんがお前のためにどれだけ犠牲を払ってきたか分かってるのか? 本当に分からず屋だな」

「なんで他の子はちゃんとできるのに、お前だけできないんだ? お前の方に問題があるに決まってる!」

「少しは自分を振り返って反省したらどうだ?」

(目に浮かぶ光景だろう?)

こうした呪縛は、大人になった今でも私たちの思考や行動を縛り続けている。「自分のやっていることが、自分を必死に育ててくれた人たちに迷惑をかけているんじゃないか」と、常に罪悪感を感じてしまうんだ。

最近ではネットの発達で「保護者グループチャット」なんてものができ、教師が親を振り回せるようになった。しかも、中国人は子供を持つと被害妄想に陥りがちだ。「上」が決めた目標に従わなければ、自分や子供が「上」から嫌がらせを受けると思い込んでいる。

こうなると、『群衆心理』に書かれているような光景が具現化する。ほとんどの人は、その事の合理性を疑おうともしない。

コロナ禍の時、マンションの警備員が急に権力を持った途端、自分が偉くなったと勘違いしたのを思い出す。一部の教師もそれと同じだ。

親は「弱点(子供)」を抱えながら、教師の理不尽に耐えてたくましく(?)育っていく。これをおかしいと思う人はほとんどいないし、たとえ気づいても、被害妄想から「波風を立てないのが一番だ」と考え、愚痴をこぼしながら耐えてやり過ごす。

これが教師側に「親のデッドラインはいくらでも下げられる」という最高の手本を見せてしまった。その結果、親に押し付けられる仕事はどんどん増えていく。

どうせ耐えれば済むことだ。明日もまた「弱点」を学校へ送り届け、教師の棒読みプレゼンを聞き続けるのか?

ふと思った。もし子供の親が市共産党委員会の書記だったら、教師はそんな口を叩けるだろうか?

結局、親の立場が弱いせいで、底辺同士が足を引っ張り合っているだけなのだ。

なんでサイバーセキュリティ業界って、こうも痛い奴らばっかりなの?

ここは、幼稚な「巨大児」とバカがうじゃうじゃいる業界だ。そいつらのせいで、業界全体が低スペックな人間の溜まり場に成り下がっている。

〇〇セキュリティチーム

この業界の特徴は、誰でも勝手に「〇〇セキュリティチーム」を名乗れることだ。

WeChatの公式アカウントを作れば「〇〇チーム」、掲示板を立てれば「〇〇コミュニティ」、スクリプトキディが数人集まれば「〇〇グループ」……。

名前だけは凄そうだが、実態は大学生のサークル活動レベル。少し突っ込んで聞くと、「うちは〇〇のレッドチーム出身がいる」とか「〇〇の脆弱性ランキングで何位だ」とか、偉そうにふんぞり返る。

子供の頃、小学生数人で集まって「江南七怪」を気取っていたのと大差ない。

〇〇セキュリティ研修

企業研修をやっていた頃、セキュリティ講師の知り合いが何人かいた。ネットで検索して出てくる講師は、Bilibiliやテンセント、個人サイト、公式バックアップのあるオフライン講師まで、君が思いつく限りの人間を私は知っている。

今のセキュリティ研修なんて、どれもWebペネトレーションの焼き直しで、カリキュラムはコピペ。最近の講師は、自分でコードを書いたりコード監査をしたりできる奴すらほとんどいない。

「SRC脆弱性発掘コース」なんて、結局は昔のツールで脆弱なURLを叩いていたスクリプトキディ時代に逆戻りしただけ。今の研修は、それを小綺麗にパッケージ化した「お洒落なスクリプトキディ」養成所に過ぎない。

ちょっとかじった程度で研修を始めて、カモを刈り取る。カモの方も、sqlmapを叩いてデータベースのパスワードを抜くのが「何年も修行が必要な超絶技巧」だと信じ込んでいるから、ハッカーへの憧れを抱いてバカな講師に金を払う。そして後になって、自分がカモられたことに気づくんだ。

実際、北京の某機関で500万円も払って学んだ学生が、現場でBurp Suiteすら使えなかった(誇張じゃなく、マジで)なんてケースも見てきた。

バカな研修機関がスクリプトキディを大量生産し、そいつらが経歴を盛り、「コード監査ができる」「脆弱性を見つけた」「HW(演習)に参加した」と嘘をついて業界に流れ込む。そうやってゴミがどんどん増えていく。

ゴミが増えれば、仕事はブラック化する

業界にゴミが溢れた結果、HR(人事)は履歴書を信じなくなり、学歴というハードスペックで足切りをするようになった。リストラされるのは、決まって低学歴のエンジニアだ。

学歴は、少なくとも受験戦争を勝ち抜いた「学習能力」の証明になる。セキュリティ業界には、そこまで替えのきかない高度な技術なんてほとんどない。なら、「高学歴+技術あり」を残すのは当然だ。たとえ技術が少し劣っていても、学習能力があれば教えれば済む話だから。

かつて、この業界は野蛮な成長期にあり、草の根出身や低学歴の独学派にもチャンスがあった。だが、中国人の「悪知恵」にかかれば、そんな業界もあっという間に食い潰されてしまう。

自己紹介をさせて

どうも、Alexです。ここは僕のブログです。

これまでは長年IT業界にいて、主にサイバーセキュリティをやってました。具体的にはペネトレーションテスト(侵入テスト)や脆弱性診断、企業研修なんかですね。まあ、そんなところです。

最初の仕事は上海・陸家嘴にある銀行だったんですが、少しして辞めちゃいました。早起きが苦手で。それ以来、どこかに勤めるという形では働いていません。

サイバーセキュリティも金融トレードも、あくまで僕の趣味です。趣味は仕事にするもんじゃないし、KPIなんてあってたまるかって思ってます。

今は主にBTC(ビットコイン)のクオンツ・トレードで食ってます。だいたい海外にいますね(クリーンなものを食べたいので)。

このブログには、僕のリアルな経験や感じたことをそのまま書いています。メンタルが弱い人は、あまり深入りしないほうがいいかもしれません。

検索エンジンの膨大なデータの中で、こうしてあなたと出会えたことに感謝します。

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