今の学校って、なんでこんなに疲れるんだろう

中国人が一番よく口にするのは、「どんなに苦しくても子供にだけは苦労させたくない」「どんなに貧しくても教育だけは妥協しない」という言葉だ。

つまり、子供が生まれた瞬間に自分は「弱点だらけの人間」になり、すべてを子供に譲り、何よりも子供を最優先にする。たとえ自分や子供が不当な扱いを受けたとしてもだ。

「不公平」と言っても、実はとても曖昧な言葉だ。少なくとも私たちが育ってきた環境では、親や教師と「公平さ」について議論する資格なんてなかった。結局、自分という「弱点」は外向けのものであって、内側(家庭内)では弱点扱いされない。だから親は、あらゆる道徳的な脅し(モラルハラスメント)を使って子供をコントロールしようとする。

「苦労してこそ、ひとかどの人間になれるんだ」

「せっかく苦労して学校に行かせてやってるのに、その態度はなんだ?」

「お父さんとお母さんがお前のためにどれだけ犠牲を払ってきたか分かってるのか? 本当に分からず屋だな」

「なんで他の子はちゃんとできるのに、お前だけできないんだ? お前の方に問題があるに決まってる!」

「少しは自分を振り返って反省したらどうだ?」

(目に浮かぶ光景だろう?)

こうした呪縛は、大人になった今でも私たちの思考や行動を縛り続けている。「自分のやっていることが、自分を必死に育ててくれた人たちに迷惑をかけているんじゃないか」と、常に罪悪感を感じてしまうんだ。

最近ではネットの発達で「保護者グループチャット」なんてものができ、教師が親を振り回せるようになった。しかも、中国人は子供を持つと被害妄想に陥りがちだ。「上」が決めた目標に従わなければ、自分や子供が「上」から嫌がらせを受けると思い込んでいる。

こうなると、『群衆心理』に書かれているような光景が具現化する。ほとんどの人は、その事の合理性を疑おうともしない。

コロナ禍の時、マンションの警備員が急に権力を持った途端、自分が偉くなったと勘違いしたのを思い出す。一部の教師もそれと同じだ。

親は「弱点(子供)」を抱えながら、教師の理不尽に耐えてたくましく(?)育っていく。これをおかしいと思う人はほとんどいないし、たとえ気づいても、被害妄想から「波風を立てないのが一番だ」と考え、愚痴をこぼしながら耐えてやり過ごす。

これが教師側に「親のデッドラインはいくらでも下げられる」という最高の手本を見せてしまった。その結果、親に押し付けられる仕事はどんどん増えていく。

どうせ耐えれば済むことだ。明日もまた「弱点」を学校へ送り届け、教師の棒読みプレゼンを聞き続けるのか?

ふと思った。もし子供の親が市共産党委員会の書記だったら、教師はそんな口を叩けるだろうか?

結局、親の立場が弱いせいで、底辺同士が足を引っ張り合っているだけなのだ。