中国式ドリームコア(Chinese Dreamcore)についての考察

最近、ネットで「ドリームコア(Dreamcore)」に関する投稿をよく見かけるんだけど、その流れで「チャイニーズ・ドリームコア(中式夢核)」に出会って、すごく心に刺さるものがあったんだ。だから、それについての自分の考えや感じたこと、考察を記事にまとめておこうと思う。

僕が言う「中式夢核」っていうのは、主にミレニアム前後(2000年前後)の集団記憶のこと。僕は90年代生まれで都会育ちだから、こういうコンテンツを見ると本当に感慨深いというか、初めて見た時はなぜか言いようのない切なさが込み上げてきた。

以下は、ドリームコアにまつわる断片的な記憶の記録。

青や緑のガラスカーテンウォールのビル:

子供の頃、街中でよく見かけたブルーやグリーンの反射ガラスが張られたビル。銀行とか、ちょっといいマンションによく使われてたよね。なんでみんなあんな色のガラスを使ってたのかは謎だけど、たぶん見た目重視ってわけじゃないと思う。昔はエアコン代も高かったし、ああいう色付きガラスにすることで、見栄えを保ちつつ断熱効果を狙ってたんじゃないかな。

親がそういうビルで働いていて、学校帰りに迎えに行って待っている間、いかにも「職場」って感じのお茶と水垢が混ざったような匂いがしてたのを覚えてる。出勤したらまずお茶を淹れて、新聞を広げて、のんびり定時を待つ……。で、翌朝には昨日の茶殻を捨てる。そんな毎日を繰り返しているうちに染み付いた匂い。今でもその匂いを嗅ぐと、「あ、ここは役所か何かだな」ってすぐにピンとくるんだ。

新聞・雑誌の屋台:

僕が小学生だった頃、こういう屋台ってあちこちにあったんだよね。ふと、「これで本当に儲かってるのかな?」なんて考えたこともあった。だって、売ってるものがどれも安すぎたから。

中にはアイスボックスを置いてる店もあって、放課後はなけなしの小遣いで「チュチュ棒(ポッキンアイス)」を買いに走ったっけ。たしか10円くらいだったかな。人工甘味料の独特な味と、突き抜けるような冷たさ。当時はそんなの気にせず、友達とワイワイ言いながら食べるのが最高に楽しかった。

もちろん、もっと高いアイスを買ってるやつがいたら、そいつはもう一気に「金持ちキャラ」扱い。みんな羨望の眼差しで見てたけど……まあ、こっちはこっちで手元の安いアイスが溶けないうちに食べなきゃいけなかったしね。

あと、女の子たちが夢中になってたシール:

子供の頃の女の子の印象って、とにかく「キラキラしてて、いい匂いがして、可愛らしい」って感じだったのを覚えてる。もちろん、後になって分かったんだけど、その正体の多くはこういうシールだったんだよね。筆箱だったか、ルーズリーフだったか……結局あのシールたちがどこに貼られたのか、実はあんまり覚えてないんだけど。

女の子たちの間では、着せ替えシールも流行ってたよね。今思えば、あれが「課金スキン」の原点だったんじゃないかな。セーラームーンの着せ替えシールを買って、お気に入りのキャラに可愛い服を着せてあげるやつ。まあ、実際にやってるのを見たのは、小学校の隣の席の子くらいだけど。

シンプルな家族構成:

実家の元々の色使いって、これと似たような感じだったのを覚えてる。白い壁に、黄色か赤みがかった木のドア枠。そういえば、窓枠も赤いペンキで塗られてたっけ。

後になって他の動画を見て気づいたんだけど、あの時代の古い家って、なんでどこも似たようなデザインだったんだろうね。たぶん当時はみんな経済的に余裕がなかったから、共働きの家庭はどこもそんな感じだったのかも。今みたいにいろんなインテリアのスタイルなんて、そもそも無かっただろうし。

リビングのレイアウトはこんな感じ:

同級生の家にたくさん遊びに行ったけど、リビングの雰囲気はだいたい上の写真みたいな感じだったな。当時は家の面積もそんなに広くなかったし、テレビのサイズもそれなり。もしプロジェクションテレビ(リアプロ)なんて持ってる家があったら、「こいつの親、相当な金持ちだな」って確信したもんさ。

休みの日になると、友達と家に集まってテレビにゲーム機を繋いで遊んだんだ。うちのゲーム機は「小覇王(シャオバーワン)」じゃなかったのを覚えてる。高すぎて買えなかったから、その代用品の「挑戦者」っていう学習機だった。まあ、何であれカセットのゲームさえ動けばよかったんだ。あの頃の楽しさは、何物にも代えがたいよ。

学校の廊下:

小学校から高一まで、学校の廊下は大体こんな感じだった。腰の高さまで一色で塗られた壁に、いくら掃除しても綺麗にならないあの独特な床。南の方だったから、夏はジメジメして、冬は異常に底冷えするんだよね。まるで毎回ボロボロだった中間テストの成績みたいに。

竹シーツと木のタンス:

夏場はやっぱり竹シーツとかござが欠かせないよね。竹シーツには2種類あって、一枚板のタイプと、小さな竹のピースを繋ぎ合わせたタイプがある。どっちにしても、寝心地は確かにひんやりして気持ちいいんだけど、起きた時に体についた跡を見れば、誰もが一目で「あ、今起きたんだな」って分かっちゃうんだよね。

お絵かきボード:

こういうお絵かきボードって2種類あったよね。一つはピンクのベースのやつ。書いた後に上のピンクのシートをペリッと剥がしてまた戻すと消えるタイプ。子供の頃は「ちょっとしたメモに便利だから」なんて言い訳して買ってもらってたっけ。

もう一つはもっと進化してて、磁石を使ったタイプ。白いボードに専用のペンで書いて、下のレバーをスライドさせると一瞬で消えるやつね。後で磁石を近づけても線が引けることに気づいて、「あ、これ磁力で動いてるんだ」って納得したっけ。

ストレート携帯と折りたたみ携帯:

AndroidやiOSが登場する前のデジタル世界が、今でも本当に大好き。あの頃はまさに百花繚乱で、どのブランドも競い合うように個性的なデザインのスマホを出してたから。折りたたみもあればストレートタイプもあって、それぞれに味があったんだ。当時はまだITの知識なんてなかったから、中身がどんなOSで動いてるかなんて全然知らなかったけどね。

普通の折りたたみやストレート以外にも、小霊通(シャオリントン)っていう、家の固定電話と紐付けて通話料を安くできる端末もあった。でも、僕の思い出はそれだけじゃない。家にはレンガみたいにデカい初期の「大哥大(ダーグーダー)」もあったし、ポケベルもあった。ポケベルの番号なんて、今でも暗記してるくらい。

当時は通信が不便だったから、携帯の機能なんてほとんど電話かメール。届いたメール一通一通をすごく大切にしていたし、大人になったらノキアのN97を手に入れるんだって、ずっとワクワクしてた。

Windows 98:

小学生の頃、家に初めてのパソコンがやってきた。清華同方のWindows 98搭載機だった。初めて触る時はめちゃくちゃ緊張したのを覚えてる。当時、8,000元もしたんだ。今の感覚で言えば、かなりのハイスペックPCが買えるくらいの金額だから、当時としてはとんでもない大金だよね。

街にはパソコンショップが軒を連ねていて、ショップやソフトの販売店が並んでいる光景を見るのが大好きだった。まるで自分がテクノロジーの進化の最先端にいるような、そんなワクワク感があったんだ。パソコンが壊れたらショップの店主に泣きついて、店員さんや見習いの人に修理やOSの再インストールをしてもらったりね。

パソコンを手に入れてからは、自分でゲームをインストールしたり、フォルダを新規作成してゲームごとにファイルを整理したりすることも覚えた。そうしないと、変な不具合が起きちゃうから。当時はダイヤルアップ接続でネットなんてほぼ無いに等しかったから、ゲームは全部CD-ROM。だから、変なウイルスやアドウェアを掴まされる心配もなかった。

Windows 98やXPの時代、OSの再インストールといえば「Ghost」っていうソフトが定番だった。でも、結局ITを仕事にするようになっても、自分では一度も使わなかったな。なんだか、いまいち信用できなかったんだよね。

Windows 98では面白いゲームをたくさん遊んだ。「大富翁4」「剣侠情縁2」「スタークラフト:ブルードウォー」「レッドアラート」「ニード・フォー・スピード」、それに「メタルスラッグ」みたいなアーケードエミュレーターとか。ファミコンとPCゲームが共存していたあの頃、ゲームは僕に新しい世界を見せてくれた。

土日になると祖母の家へご飯を食べに行き、その「ついで」に兄貴の家へ行ってゲーム画面を眺めていた。兄貴は地頭がすごく良くて、毎日ゲーム三昧でもクラスで1番を取るようなタイプ。ゲームの腕前もプロ級で、横で見ているのが本当に楽しかった。ストーリーをじっくり楽しめるからね。今思えば、あれが僕にとっての「元祖・ゲーム実況」だったんだな。

Windows XPとダイヤルアップ接続:

Windows 2000の時代はあっという間に過ぎ去り、次に来たのはWindows XPの時代だった。あの頃は、毎日が期待と進化に満ち溢れていたように思う。インターネット技術が産声を上げたばかりで、僕自身もネットの世界に足を踏み入れたのはXPからだった。

中学2年の時、幼馴染が家に来て「お前、QQ(メッセンジャー)持ってる?」と聞いてきたのを覚えている。「持ってるよ」と答えると、「じゃあ、スタークラフトやる時にQQ対戦プラットフォーム使ってる?」と。当時の僕はちんぷんかんぷんで、彼に登録方法や対戦のやり方を教わった。その流れを覚えると、今度は僕が周りの友達全員に広めて回った。

そうして、みんながインターネット時代に突入した。CS 1.5、エイジ オブ エンパイア II、スタークラフト、レッドアラート……オンラインで対戦できるのが楽しくて仕方がなかった。その輪はどんどん広がり、クラスメイトたちとゲームのクランを作るまでになった。校内スポーツ大会の時期になると、みんなでネットカフェに陣取って10台並んで対戦したのもいい思い出だ。

その後、シンガポールのドラマ『力克千年虫(インターネット・サバイバル)』を見てハッカーに強い憧れを抱き、プログラミングやセキュリティの情報をネットで漁り始めた。幸い当時はネットの黎明期で、誰もが自分の技術を惜しみなく共有していた。中2の国慶節の連休、僕はC++で初めてのQQアカウント盗難ソフトを書き上げ、見事「ターゲット」に送り込んで、2から始まる古いアカウントを手に入れた。僕が自分で申請したアカウントはもう4か5から始まっていたから、それは特別な戦利品だった。

それからは土日も勉強に明け暮れ、中2の夏休みには仮想マシンとVC++ 6.0を使いこなし、PCを遠隔操作できる人生初のトロイの木馬を完成させた。Web攻撃の原理も理解した。すべてが刺激的だった。今の視点で見ても、当時の技術コンセプトは非常に進んでいたと思う。IT業界は「中身は同じで器が変わっただけ」のようなところがあり、本質的にはそれほど進歩していないのかもしれない。

90年代生まれ(90後)は、あらゆる世代の中で最も幸せな世代だと思う。ゲームひとつとっても、子供時代にはファミコン時代があり、『スーパーマリオ』『熱血シリーズ』『魂斗羅』『メタルマックス』といった超名作に触れてきた。

PS2やPSPの進化も目の当たりにし、『真・魂斗羅』『真・三國無双』『NARUTO』などに熱中した。

PCのシングルプレイ全盛期には、『スタークラフト』『レッドアラート』『剣侠情縁』『CS』『ウォークラフト』『ディアブロ』『ヒーローズ・オブ・マイト・アンド・マジック3』といった不朽の名作があった。

そして、それらの傑作がネットを通じてオンラインゲームへと進化していく過程も体験した。

さらにその後、AndroidやiOSの普及によるモバイルゲーム、Steam、そして数々の3Aタイトルまで……世界が豊かになっていく様をこれほどダイレクトに体感できたのは、まさに「黄金世代」だけだろう。

【考察】

なぜ僕は、こうした「中式夢核(チャイニーズ・ドリームコア)」なものに惹かれるのか。それは、これこそが僕の子供時代、ミレニアム前後の1998年から2013年という黄金期の記憶そのものだからだ。世界がどうなったとか、国家がどう動いたかという大きな物語には興味がない。ただ、僕の周りで何が起き、僕自身に何が起きたのか、それだけを見つめていたい。

ドリームコアの色調とは何だろう?

それは、温かく明るく、それでいて切ない色だと思う。例えば、夏休みの午後にうとうとと目が覚めた時の感覚。両親はまだ仕事で、近くの幼稚園もまだ終わっていない。ブラインド越しに差し込む日差しが、ちょうど足元をぽかぽかと温めている、あの感じだ。

なぜあの頃を懐かしむのか?

こうした写真を見ると、多くの人はその風景の中を生き生きと動き回る人々を思い浮かべる。白髪のない若々しい父さんや母さんに会いたいと思い、まだ元気だった祖父母の家で遊びたいと願う。今は生活に押しつぶされそうで、日々の暮らしに悩み、良い仕事のために競争に明け暮れ、毎日がどこか死んでいるように感じるから。


「15年分の盛夏を置き去りにして」

15年前、 君はここに住んでいた。 そして今、またここに来た。 ドアを開けると、厚い埃が積もっている。 それは埃なのか、それとも募る思いなのか。 床に、そしてあの頃の記憶に、幾重にも重なっている。 記憶が脳裏に溢れ出す。

君は15年分の盛夏を逃してしまった。 窓の外には緑が広がり、蝉が鳴いている。 あの団扇を覚えているかい? 窓際で枯れ果てた観葉植物を見たかい? 君の心の中で激しく蔓延っているものは、一体何だ? 流れる命は、盛夏の樹々に茂る葉のようだ。

木漏れ日がキラキラと君の顔に落ちる。 夕日が大地を染め上げる。 けれど君は別の場所にいて、この盛夏の鼓動を感じていた。 それは葉っぱじゃない、躍動する命だ。 歳月の記憶の中に、はらりと落ちた。

すべてが昨日のことのように思えるかもしれない。 けれど、もうずいぶん長い時間が経ったんだ。 机の上には15年前のミネラルウォーターが置かれたまま。 ソファには2枚の列車チケットが散らばっている。 それらは、ずっと君が帰ってくるのを待っていた。

君がどこへ行ったのか、僕にはわからない。 君がいなくなってから、 ここには誰も来なくなった。

僕がコバルトブルーの窓から外を見る時、そこにあるのは「かつて」。 君がコバルトブルーの窓から中を覗く時、そこにあるのは「思い出」。

かつての日々は平凡だったと思うかもしれない。 けれど、その平凡な日々こそが幸せの輪郭を描いていた。 ここの風景を、永遠に記憶の中に刻んでおこう。

たぶん、 子供の頃と、老人になってからしか、 ここでは幸せに暮らせないのかもしれない。


時々考える。僕はとても長い夢を見ているんじゃないかと。 大人になって、結婚して、自分のキャリアを築いて……。 ふと目が覚めたら、国語の期末テスト対策の授業中だったり、自分の部屋のベッドの上だったりするんじゃないかって。

この記憶たちが、僕の中で永遠に生き続けますように。 これからも、何度も君に会いに行くよ。

男尊女卑的な考え方と、損得勘定についての考察

身近にこういうタイプが一人はいませんか。長く付き合ってみると、彼が作り上げている(あるいは自負している)キャラクターが見えてきます。

それは、「成熟していて、大局が見えて、ポジティブ。周囲に配慮し、他人の気持ちを汲み取れる。亭主関白気味だけど、気前がいい」というもの。

実のところ、これら全ての要素は彼の「成熟」という一点から派生しています。実際、彼はいい奴なんです。その成熟さゆえに、日常生活や仕事で助けられることもあるでしょう。

でも、今日ここで解剖したいのは、「なぜこれほど成熟しているのに、彼の人生はうまくいかないのか」という点です。


👥 人間関係について

彼は、自分では認めないかもしれませんが、典型的な「お人好し」です。そのため、周りは何かあれば彼を頼ります。彼自身が不得意なことでも、プライド(面子)が邪魔をして断れません。「味方は多いに越したことはない」という考えから、価値のない雑用にとてつもない時間を浪費してしまいます。

彼は、パートナーや子供、友人など、周り全員を幸せにしたいと願っています。だから常に考え事が多く、時には考えなくていいような些細なことまで敏感に察知してしまいます。本人はそれを「成熟」だと思っているのでしょうが、現実問題として、彼には周囲全員を幸せにするほどの実力はありません。

また、彼は「聖母のような心」を持っていて、周りにも自分と同じような「愛と平和」を求めます。しかし現実はそう甘くありません。救いようのない人間に時間を割いて更生させようとしたり、自分とは違うタイプの人間に干渉して変えようとしたりします。親しい友人に対しても、細かな部分で自分と歩調を合わせるよう期待してしまうのです。


💍 結婚について

このタイプのお人好しの結婚は、最初から悲劇である可能性があります。例えば、愛があるからではなく、長く一緒にいたから「責任を取って」結婚したり、デキ婚で「筋を通すため」に入籍したり。しかし、元々合わない二人なので、子供ができても夫婦仲は冷え切ったまま。そこで彼は「子供が足りないから仲が悪いのか?」と考え、さらにもう一人作るという決断をします。

結婚前には、愛が薄くても「男の甲斐性」を見せようと、不動産の名義を妻だけにしたりします。「離婚を前提に考えるのは縁起が悪い」という理屈です。

結局、二人の関係が破綻した時も、彼の亭主関白なプライドが発動します。「離婚していい。家はお前にやる。俺は身一つで二人の子供を引き取る。文句ないだろ!」と。しかし、実際の彼の収入は、自分と子供二人、そして両親を養うのが精一杯。日本の家庭構造に似ていますが、元妻は家を手に入れ、自由になり、新しい彼氏を作って自分のためだけに生きています。

今の彼は、元妻名義の家に子供と母親と住み、元妻が外で新恋人と住む部屋の家賃まで払っている。子供の世話もしない元妻のために。これでは、女性の役割はただ「出産」するだけで、あとは家を奪って去っていくだけの存在になってしまっています。

そんな中、彼は離婚危機の時期に再会した高校時代の女友達(シングルマザー)と一緒になる決断をします。お互いに不幸な結婚を経験した者同士。しかし彼の中では、今や「妻一人と子供三人」を養っている感覚です。根拠のない「男の責任感」ゆえに。


📚 学習について

彼はこれまで、学ぶ時間をほとんど取ってきませんでした。彼の価値観では「スキル系の勉強ばかりすると、マネジメント層に行けなくなる」という思い込みがあり、あえて技術的な知識を避けてきたのです。かといって、家庭の事情で忙しく、教養としての文史哲に詳しいわけでもありません。

新しいトレンドにも興味を示しません。「そんなの一時的な流行りだ」と切り捨てます。そのため、若い世代と食事をしても、ゲームや流行りのドラマ、ニュースの話題についていけず、愛想笑いをするしかありません。そして「今の若い奴らは何を考えているか分からん」と、時代から取り残された疎外感を感じるようになります。

女性特有の話題(コスメやファッションなど)も「面倒なもの」として切り捨てます。彼が求めるのは、外見を飾ることに時間をかけず、精神的に共鳴できる女性です。女性を理解しようとする男は「時間の無駄」だとでも思っているのでしょうか。

次第に、周りが良いものを勧めても、彼は生返事をするだけで実際に見ようとはしなくなります。勧められたものを心のどこかで見下しているのかもしれません。その結果、周囲は彼に何も勧めなくなり、距離を置くようになります。すると彼は「なぜみんな俺に話しかけてくれないんだ」と不満を漏らすのです。


🧠 心理状態

これらの要因が積み重なり、彼は自分の人生に対して深刻な不安を抱えています。例えば、チーム内での彼は核心的な戦力ではなく、実質的には「雑用係」です。メンバーAからBへの連絡をわざわざ自分が仲介することで「自分は役に立っている、コミュニケーションを円滑にしている」と思い込もうとします。

長年働いてきても、関わった社会やプロジェクトはごくわずか。前述の「男のプライド」のせいで膨大な時間を浪費し、結局何も成し遂げられていないのです。周りと比べ、自分はなんて無力なんだと打ちのめされています。

誰よりも「成熟」しているはずなのに。

outer heaven

このサイトは僕個人の日記なんだけど、最近は日常のことを全然書いてなかったな。でも、今日は記録しておかないと。本当に嬉しい一日だったから。

これまで僕のトレードチームはずっとブロックチェーンの取引をやってきた。でも、これまではオーダーフローとかを使った一般的なテクニカル分析で、エントリーして利確・損切りを設定して、リスクリワードを計算して、建値決済や利確を繰り返すっていうスタイルだった。毎週、毎月、現物の利益を計算する日々。

それと並行して、ずっと進めてきたのが量化トレード(クオンツ)とAIを組み合わせた研究だ。これはかなり長期のスパンで取り組んできたプロジェクトだった。

一昨日、ようやく最後の一行を書き終えて、昨日はコードの最終調整をしてから実弾での運用を開始した。データベースの数字と利益が正常に動いているのを見て、本当に感動したよ。このシステムは過去データに頼らなくても、どんな状況下でも年利40%を底堅く狙えるんだ。

これまでの戦略に比べれば数字自体は驚くほど高くはないかもしれない。でも、これは現物やレバレッジ1倍の先物、それに大型銘柄や米国株を対象にした戦略で、ドローダウンも極めて低い。機械は人間より理性的だから、ルール通りに淡々とトレードしてくれる。

これが僕たちの「経済的自由」への第一歩だ。これからは利益分だけで先物トレードを回せるようになるから、リスクを過度に心配する必要もなくなる。この一歩は本当に大きい。

不労所得がある未来っていうのは、最高に気分がいいね。一定期間ごとに、ほぼノーリスクで口座のU(USDT)が増えていく。レンジ相場、暴落、一方的なトレンド……あらゆる極限状態をテストしたけど、ボットは驚くほど冷静に対処してくれた。

僕は他の仕事の兼ね合いもあって、本当にいろんな人間と接してきた。でも、関われば関わるほど、まともな人間に出会える確率の低さに絶望する。「まともな人間」っていうのは、まっとうな是非の判断ができて、論理的に考えられて、物事に対して独自の視点を持っている人のことだ。でも……本当にいないんだよね。ましてや、そんな「まともじゃない」大多数の人たちと協力したり仕事をしたりするのがどれだけ大変か。

景気もどんどん悪くなっている。だからこそ、僕は金融トレードの世界に「アウター・ヘブン(天国)」を築こうとしてきた。人脈にも頼らず、コネも作らず、上司との飲み会もせず、くだらないトレンドも追わない。ただ安定した高収益を手に入れる場所。

そして今、僕はそれを成し遂げたんだ。

コミュニケーションと孤独

「仕事ですごく疲れてるのに、よく考えたら今日自分って大したことしてないよな、なんでこんなに疲れてるんだ?」って思うことない?今、この記事を書いてる私自身がまさにそれ。めちゃくちゃ疲れてる。

仕事で一番エネルギーを使うのは、結局「コミュニケーション」なんだよね。そう、対人関係。これが一番しんどい。コミュニケーションが疲れるのは、相手がこっちの意図を汲み取ってくれないし、期待通りの結果も出してくれないから。上司だろうが部下だろうが、社内だろうが社外だろうが、この「伝わらなさ」には本当に無力感を感じる。

自分の主な仕事が「誰かと話すこと」だと気づいたとき、周りがみんな「話の通じないバカ」に見えてくることがある。こっちの意図をパッと理解できない相手に、どう説明すれば伝わるかを考える。その思考プロセスと、実際に言葉にしてアウトプットする作業。これって、寿命を削ってるようなもんだよ。本来ならその時間でゲームしたり、好きなことしたりできたはずなのに。

一日が終わってふと気づく。「今日やろうと思ってたこと、何もできてない」「ゲームするはずだったのに、できなかった」って。じゃあ、好きなことができなかった分、仕事が充実してたかっていうと、全然そんなことない。ただただ「コミュニケーション」っていう、退屈で不毛なことに時間を溶かしただけ。

これが「何もしてないのに疲れる」の正体。あまりの疲れに、「別の仕事にすればよかったかな」「この業界を選んだのが間違いだったかな」なんて考えちゃうけど、答えは「NO」。どこへ行っても同じ。なぜなら、この世の中は話の通じない奴らが大半で、そいつらが常に君を取り囲んでいるから。

一日が終わる頃には、何も成し遂げていない虚無感だけじゃなく、深い「孤独」すら感じるようになる。「なんで自分の周りにはバカしかいないんだ?」って。まともに話せる相手がいなすぎて、絶望するんだ。

そうやって日々コミュニケーションに追われるうちに、自分自身のスキルも錆びついていく。孤独感は増すばかりで、この「バカの包囲網」からどう逃げ出せばいいかもわからない。そして自分の人生に迷い始める。「あれ?自分はこれまで、バカと上手に喋るために一生懸命勉強してきたんだっけ?」って。そんなとき、ふと子供の頃を思い出す。ちゃんと話が通じたあの頃の親友たちのことを。そして今のクソみたいな仕事の状況と比較して、思わずこう吐き捨てたくなる。「あーあ、やってらんねぇな!」

どん底で生きる人たち

「底辺」という言葉で身近な人々を表現するのは、彼らへの不スペクトに欠ける気がして気が引ける。だが、彼らをそう呼ばざるを得ないのには、やはりそれなりの理由がある。この記事では、私の周りにいる「底辺の人々」について語ってみたい。
1. 甘粛省天水市の鉛中毒事件
少し前、甘粛省天水市で子供たちが鉛中毒になった事件が大きな騒ぎになった。親たちが集まって抗議の声を上げたが、資料を見る限り、あの子たちは本当に不憫でならない。鉛中毒は病院へ行けばすぐ治るようなものではなく、子供たちは長期にわたる苦痛を強いられることになる。
ネット上では、「日本の処理水を叩くあの熱量で、なぜこの件を追及しないんだ?」「20年前にも同じことがあったじゃないか」といった冷ややかな声が溢れた。その後、親たちは子供を近隣の省や上海の病院へ連れて行ったが、多くの病院で受診を拒否されたという。これは甘粛省の一役人の力だけでできることではない。
親たちはといえば、ネットで不適切な発言をすれば即座にアカウントが凍結される。だから今は、苦しむ我が子を見守りながら、ただ処理結果を待つことしかできないのだ。
私はこれまで何度も、子供が被害に遭う事件を耳にしてきた。そのたびに父親たちは「もし自分の子がそんな目に遭ったら、相手をぶち殺してやる!」と息巻く。しかし、天水の事件で責任者に立ち向かった父親の話は聞こえてこない。鉛中毒は大したことではないと思っているのか、あるいは将来子供が公務員になる際、親に前科があると困るからとでも考えているのだろうか。
口先だけの男は多い。信じられないなら、子供が絡む公的な事件が起きるたびに、どれだけの父親が実際に立ち上がったかを見てみればいい。はっきり言って、彼らが「底辺」なのは自業自得だ。

2. 杭州の汚水騒動
鉛中毒のすぐ後、今度は杭州の良渚地区で水道水に糞尿が混じるという事件が起きた。
最初は「また派遣社員のミスか?」程度に思っていたが、事態はどんどん奇妙な方向へ進み、ついには当局が「説明」を出すに至った。しかし、説明の内容などどうでもいい。この記事を書いている今日現在も、問題は解決していないのだ。
住民たちは今も、40度の猛暑の中でミネラルウォーターを買うために行列を作っている。
かつて農夫山泉の会長の息子がアメリカ国籍だからと不買運動をし、ワハハに乗り換えたものの、ワハハの令嬢もアメリカ国籍だと知って絶望した人々。そんな彼らが、今、自宅から糞尿の混じった水が出てきて、結局は農夫山泉やワハハのボトルを買わざるを得なくなっている。彼らは今、どんな心境なのだろうか。
これはある種の「社会的従順性テスト」なのかもしれない。「糞尿を飲ませても文句を言わない」と分かれば、次はもっとひどいテストが計画されるだろう。どうせ底辺の人間は、苦労に耐えることだけは得意なのだから。

3. 高鉄の窓ガラス破壊
公式ニュースを引用しよう。
7月2日20時28分頃、貨物列車が金華市内の東孝駅で停車しきれず正線に侵入し、旅客列車K1373次が脱線した。復旧作業を経て、列車は23時27分に運転を再開した。
この間、車内は猛暑となったが、乗務員は「ホームのない場所での停車」「ドアの高さが1.5メートル以上」「夜間で照明がない」などの理由から、乗客の転落リスクを考慮し、ドア開放や窓の破壊は必要ないと判断した。
22時04分頃、3号車の男性客が非常用ハンマーで窓を割ろうとしたが、乗務員が制止。窓ガラス1枚が破損した。飛び降りを防ぐため、乗務員が窓の前に立ちはだかり、警察と共に警備に当たった。23時11分に空調が復旧。金華駅到着後、警察は男性を厳重注意し、ガラスは修復された。
鉄道部門は「緊急時はマニュアルに従い適切に対処するので、係員の指示に従ってほしい」と呼びかけている。
3時間もの猛暑。写真を見れば、警察官自身も汗だくだ。それでも彼は上からの「命令」を遂行し続けた。警察官を責めるつもりはない。彼らもまた、仕事を失わないために動いているだけなのだ。
誰かが言った。「この列車はまるでこの国のようだ。誰かが英雄になって皆に利益をもたらすが、最後にはその英雄が犠牲になる」と。

4. 南京の写真館
毎年、特定のデリケートな時期になると、愛国心を煽って稼ぐための映画が公開される。最近では『南京照相館』がそれだ。SNSでは「歴史を忘れるな、我ら自ら強くあるべし」といった言葉が溢れている。
私は不思議でならない。そう叫ぶ彼らに問いたい。
わずかな収入しかないお前に、何ができるというのか? 納税額はいくらだ? 子供をアメリカに住ませている富裕層より納税しているのか? それでよく「自ら強く」なんて言えたものだ。
大都市に家を買えるのか? 高いローン金利は日本人が設定したのか? 一生ローンの奴隷でいることが「自ら強く」あることなのか?
もし自分の子が鉛中毒になったら、お前はどうする? TikTokで泣き言を垂れ流し、アカウントを消されて脅されるだけじゃないのか?
蛇口から糞尿が出てきたらどうする? SNSで二、三言愚痴をこぼして、また水を買う列に並ぶのか? 日本の処理水放出にあれだけ騒いだ威勢はどうした?
学歴はどうだ? 三流大学でコピペの論文を書き、社会に何の貢献もしていないお前が、どうやって「自ら強く」なるんだ?
社会に出れば996(朝9時から夜9時まで週6勤務)の社畜になり、パワハラに耐え、最低限の社会保険でこき使われる。それがお前の言う「自ら強く」ある姿か?
高鉄に3時間閉じ込められて、新鮮な空気を吸うために窓を割る度胸すらないお前が、どうやって強くなれるというんだ?
底辺の人間とは、そういうものだ。

協力するって、本当に疲れるよね

タイトルを見れば、僕が何を言いたいか分かるはず。協力して何かをやるって、本当に疲れることなんだ。

ある人は「仕事でバカに遭遇すると、逃げ場がなくて最悪だ」って愚痴をこぼしてくる。

仕事場にいるバカにはいくつかパターンがあるよね。自分より下の立場のやつがバカで、仕事が遅い上にミスばかりして台無しにするとか。同僚がバカだと、「なんでこんな奴と一緒に仕事しなきゃいけないんだ」って呆れる。上司がバカな場合は、もう右から左へ受け流すしかない。「またバカな上司が言ってるよ」ってね。

その後、僕は会社を立ち上げた。会社を経営すれば、他社や組織との協力は避けられない。一番致命的なのは、取引先(上流)がバカなケースだ。もちろん、表面上は良好な関係を保ってる。それは単に、こっちが相手にするのが面倒で我慢してるだけなんだけど。

上流の担当者がうちに来ると、よく事業にあれこれ口を出してくる。こっちは反論もしにくい。そいつはうちの製品ラインナップについて無知すぎて、もしうちがマクドナルドだとしたら、「なんで他所にはあるポテトやコーラがここにはないんだ?」って言い出すレベル。

たまに「うちのポテトとコーラはこだわり抜いた一級品ですよ」って説明しても、そいつは覚えちゃいない。次に来た時も、また同じことを繰り返す。

正直、PTSDになりそうな感覚だよ。そいつが来ると「またかよ」って思う。僕は外回りでいないことが多いから、そいつのPUA(心理的支配)を回避できるけど、会議に出てる社員はこっそりスマホで内容を報告してくる。

少しでも建設的な意見があるのかと期待してみるけど、こっちの業績が上がっても、そいつの言うことは相変わらずのテンプレ通り。会社にずっと詰めている相方の共同経営者は悲惨だよ。毎日そいつの雑用を押し付けられてる。

結局、ビジネスチェーンで上流に依存している以上、自分のメンタルを鍛えるしかない。そうすれば、相手のPUAを受けても心のダメージを減らせるから。

起業してからずっと痛感しているのは、対人のビジネスは、大抵の場合「疲れ」と「苦痛」に満ちているってこと。特に、相手のリーダーがマウントを取ってきたり難癖をつけたりするタイプだと、飲み会でも現場でも……ずっと顔色を伺ってなきゃいけない。

僕はそんな人生、御免だ。嫌なことや嫌な奴を見続けるのは嫌だ。だから、トレードの道を選んだ。トレーダーになって、社会的な分業から抜け出すチャンスを自分に与えたんだ。

……それから長い時間が経った。

安定して利益を出せるようになった時、ようやく元の生活環境から抜け出すことができた。他人の顔色を伺わなくても生きていけるんだ、無理に協力しなくても大金を稼げるんだ、人生ってこんなに素晴らしくなれるんだって気づいた。

協力は疲れる。もし君もそう感じているなら、無理に順応しようとしなくていい。疲れると感じている時点で、それは君には合っていないんだ。本当に順応できるなら、疲れなんて感じないはずだから。

自分を追い込む必要なんてない。人生、たった数十年しかないんだから。

もし世界が終わるとしたら、それでも子供を産む道を選ぶ?

今日はちょっと突飛な話をしよう。もし「もうすぐ世界が終わる」としたら、それでも君は子供を産む道を選ぶかい?

いろんな人にこの質問をしてみたんだ。「もし10秒後に、5年後の太陽系消滅が科学的に確定したとしたら。ブラックホールの出現でも、三体人の襲来でも、次元崩壊でも何でもいい。とにかく5年後に絶対的な終末が来るとわかった時、最高のパートナーが隣にいたとして、君たちは子供を作ろうと思うかな?」

大抵の人は、2秒ほど考えてこう答える。「産まないよ。あと5年で終わりなのに、産んでどうするの?」って。

そりゃそうだ。5年なんてあっという間。それなら仕事なんて辞めて、今まで行けなかった場所へ旅行したり、やりたかったことを全部体験したりして、残りの人生を派手に楽しんだ方がいい。

じゃあ、その期間を少し延ばしてみよう。もし終末まで「あと20年」だとしたら、どうかな?

ここで多くの人が考え込む。20年。長くもあり、短くもある。中には「産もうかな」と思う人も出てくるだろう。でも考えてみてほしい。君がいま25歳だとして、終末の時、君は45歳で子供は20歳。君は人生の半分を謳歌したけれど、子供は学校を卒業して、やっと大学生活や恋人との時間を楽しみ始めた矢先に、いきなり世界が終わるんだ。これって、絶望的じゃないか?

あと20年で世界が終わるとわかっていて子供を産むのは、どこか残酷というか、思慮に欠けている気がしてならないんだ。

じゃあ、もっと延ばして「60年」ならどうだい?

「あと60年」と聞いた途端、みんな急にホッとする。「60年か。今25歳なら、地球が滅びる頃にはもう自分はこの世にいないし、関係ないや。だから産もう」ってね。

でも、計算してみよう。25歳で子供を産んで、終末まであと60年。子供が30歳になった時、君は55歳で、終末までは残り30年だ。その時、君は自分の子供に「孫が欲しい」なんて言えるかな?

自分の子供には「地球はあと30年で終わるから、産むのはやめなさい」って言うのかい? 自分の子供が30歳の時に世界が終わるなんて、人生これからって時なのに、あまりに残酷すぎるから。でも、君が子供を産んだ理由は「孤独を埋めるパートナー」が欲しかったからだよね。子供は君に寄り添ってくれたけれど、その子が君と同じ年齢になった時、寄り添ってくれる次世代はもういないんだ。

だとしたら、地球の寿命があと60年しかない時に子供を産むことも、結局はその子に対して残酷なことなんじゃないだろうか。

仮に君の寿命が85歳だとして、今25歳の君にとって、自分の人生は残り60年。君は自分が子供を産むかどうか、その子にどんな教育を与えるかは決められる。けれど、その次の世代、つまり孫の世代がどうなるかまでは、まずコントロールできない。

それって結局、君個人にとっての「世界滅亡」までのカウントダウンが、あと60年だってことと同じなんじゃないのかな。

大学って、どんな場所だと思う?

以前、「君とコーヒーを飲むのにXX年かかった」とか「貧困家庭からエリートが出るのはもう無理だ」みたいな記事をいくつか読んだのを覚えている。当時はそれを読んで、「まさにその通りだ、自分がずっと言葉にできなかった感覚を代弁してくれている」と強く共感したものだ。

それから数年が経ち、さらに多くの人と接するようになった今、改めて自分自身の視点で、この目で見てきたことを書き残しておこうと思う。

そもそも、大学って何のために行くところなんだろう?

私の両親はいわゆる「あの時代」の大学生で、それも211工程(重点大学)の出身だ。当時は師範学校に行くだけでも相当すごかった時代。子供の頃、母に「学年で何番目くらいだったの?」と聞いたら、母は誇らしげに「3番以内に入らなかったら、調子が悪かった時くらいよ」と答えてくれた。

私の知る限り、当時は進学する人自体が少なかった。多くの人が「工場二世」、つまり親の仕事をそのまま引き継げば、勉強しなくても一生安泰だと思っていたからだ。ただ、彼らは時代の変化を読み違えていた。結局、多くの人が時代の波に飲み込まれ、淘汰されていった。

私が大学に入る頃には、大学生の定員が大幅に増える「拡充」が始まっていた。卒業当時は、まだ企業もそこまで学歴至上主義ではなく、どちらかといえば個人のスキルを重視してくれていたので、私にとっては追い風だった。しかしその後、大学院生の定員も増え、IT業界が急速に発展すると、学歴競争(内巻)が激化した。さらに3年間のパンデミックを経て、多くの中小企業が倒産し、外資系企業も大陸市場から撤退していった。

こうなると、学歴と、それに付随する過当競争はひどくなる一方だ。まずは「211か985(超名門)出身か」が最優先され、大学院でも「学部の出はどこか」という、いわゆる「血統の純潔さ」が問われるようになった。

最近では、大学院生の数が大学生の数を上回る「逆転現象」まで起きている。じゃあ、次は博士号で競い合うのか?

正直、この国における「大学」の定義が、私にはずっとよく分からない。

大学は「技術を学ぶ場所」なのだろうか?

専門科目と民間スクールのカリキュラムは重なる部分も多いが、もし学歴というフィルターを外してブラインドテストをしたら、民間スクールの講師の方が大学教授よりよっぽど優秀だ。少なくとも民間スクールは、現場ですぐに使えるスキルを教えてくれる。

だから、大学を「技術を学ぶ場所」と呼ぶには無理がある。私は大学の専門を「独学や民間スクールで代用できるか否か」で分けて考えている。

例えば、建築、医学、農業といった、外のスクールでは学べない知識は、大学に行くしかない。でも、コンピュータ、デザイン、美術などは、外のスクールの方が教え方も内容もはるかに優れている場合がある。そうなると話は別だ。

では、大学は「学問を追究する場所」なのだろうか?

私の周りには、C9(トップ9校)の院生や博士、あるいはそこから海外へ出た友人、もちろん一般校の院生もたくさんいる。

勉強嫌いの私は、彼らにいつも「君たちが研究してることって、結局どういうことなの?」「その論文は何がすごいの?」「そのラボで受賞したやつ、中身は何なの?」と聞きまくっている。

だが、返ってくる答えに満足したことは一度もない。少なくとも、彼らの研究が実際にビジネスに応用されたり、世界を変えたりする場面にはお目にかかったことがない。

仲の良い院生の友人がいる。彼は研究室で一番のキレ者だ。といっても、私たちのコミュニティの中では特別ではない。ただ、彼の研究室は江浙滬(上海・江蘇・浙江)エリアのIT分野で最強と言われていて、その中で彼がトップなのは、周りの先輩や後輩があまりに仕事ができないからだ。ITの院生なのにプログラミングの基礎も分からず、Linuxも使いこなせず、環境構築すらできない連中ばかりなのだ。

ある晩、彼と「大学院に行く意味」について語り合った。彼に言わせれば、高校生レベルの知能のまま大学に入り、テストが終われば忘れるような大して重要でもない単位を揃え、推薦や受験で「大学院生」という肩書きにアップグレードするだけ。

中身は高校生のまま、3年間適当に授業を受け、他人の論文を読み漁り、既存の理論に「クソみたいな飾り付け」をして、さも世界を変えるかのような論文を書き上げ、学位を手に入れる。

私は彼に聞いた。「この前、君がラボで出した成果、上海のカンファレンスで発表してたし、国とも提携してたじゃない。あれはどうなの?」
彼は言った。「上海から来た審査員だって素人だよ。ハッタリが効けばいいんだ。国の機関だってただのサラリーマン。予算を使い切らないと次から削られるから出してるだけ。あのプロセスの中で、中身が空っぽだって知ってるのは俺だけだよ」

結局、大学とは何なのか?

地方から出てきた私にとって、都会の大学に行くことは「大都会に触れるチャンス」であり、大学はその街での「仮住まい」だった。日本に行く時の日本語学校のようなものだ。学校が本当に日本語を教えてくれるわけではなく、単に「留学ビザ」という猶予期間をくれているに過ぎない。

同じように、大学はその街での「在留カード」なのだ。そのカードの有効期限内に、何らかの手段で都会に生き残る術を見つけられなければ、結局は田舎に帰るしかない。

なぜ、貧しい家庭ほど「大学」を盲信するのか?

これまで何人もの大学生に「大学に行く意味って何ですか?」と聞かれた。彼らに「日本の在留カード」の例え話は通じない。彼ら自身、そんな世界を知らないからだ。でも会話を通じて分かるのは、彼らの親が大学に対して抱く信頼は異常なほど厚く、院生や博士という肩書きに対する執着はもはや信仰に近いということだ。

ある学生に「大学院なんて教授のパシリをして論文を出し、学位をでっち上げる場所だよ」と教えたら、彼は真剣な顔でこう聞き返してきた。
「もし、僕が本当に真面目に研究に取り組んだら、何か得られるものはありますか?」
私は答えた。「学部時代にすでに騙されてるのに、まだ大学院が救ってくれるなんて期待してるのか?」

こういう質問をする子の親は、たいてい大学を出ていないか、大学の仕組みをよく分かっていない。人は自分が経験したことのないものを美化しがちだ。そして、一度美化してしまうと、他人が突きつける真実を信じたくなくなるものなのだ。

人はどうやって一年、また一年と無駄にしていくのか

今日は2025年1月10日。毎年、年明けには「あぁ、いつの間にかもう〇〇年か」なんて言うけれど、去年の自分を振り返るのは正直気が引ける。自分の人生をあんまり突き詰めて考えすぎると、息が詰まっちゃうからね。

特別な事情のせいで、2020年から2023年までは「盗まれた時間」みたいに感じる。だから自分の感覚的な年齢は2020年で止まったままで、あれからもう5年も経ったなんて信じたくない。この5年、何をしてきた?いくら稼いだ?生活は少しでも良くなった?

周りの会社員の友達に聞いても、誰も答えられない。毎日毎日、会議、会議、ちょっと自分の作業をして、ご飯を食べて、帰って寝る。その繰り返しだから。彼らにとって「今が何年か」なんて大した問題じゃない。毎日が、毎週が、毎月が、そして毎年が、鏡合わせみたいに同じだから。

そう考えると、人の持つ「時間」って実は平等じゃないんだよね。理論上は誰にでも1日24時間あるけれど、会社員は朝家を出た瞬間から、時間は自分のものではなくなる。夜7時に帰宅して、11時に寝るまでの(健康的な生活だとして)たった4時間だけが、ようやく自分の時間。睡眠時間はカウント外だ。

つまり、会社員にとっての1日は24時間じゃなくて、たったの4時間。言い換えれば、月に22日働いて8日休むとしたら、休みの日の活動時間を16時間としても、1ヶ月で自分のために使えるのは 4×22 + 8×16 = 216時間。本来なら1ヶ月に480時間は自由な時間があるはずなのに。

おまけに、仕事の疲れや、空いた時間の過ごし方を考える精神的な余裕っていう変数も関わってくる。

だから、卒業して社会に出ると、みんなの時間は少しずつズレ始める。老け込むのが早い人もいれば、ずっと若々しいままの人もいる。

前にこんなことを考えた。5000万円でマンションを買って、30年ローンを組む。なぜ家を買うのか聞くと、「戸籍、子供、学校、自分の城、自由にリフォームできる、資産になる、安心感」なんて答えが返ってくる。

でも、その人はその家を、一体どれだけの時間「享受」できているんだろうね?

普通の家庭から大学に進んだ子たち

この記事では、ここ数年、歴代の大学生たちを見てきて感じたことや考えをシェアしたいと思います。あくまで個人的な見解ですが、分析についてはできる限り中立な立場で行ったつもりです。

情報は、身近なHR(人事)、大手企業の役員、外資系の役員、大学院受験生、職業訓練業界などから集めたものと、自分自身の経験を整理したものです。

対象はIT系の大学生、および他業種からITへ転向した大学生に限定しています。他の業界については、統計的な判断を下せるほどの情報がないためです。


2013-14年:ITオタクのロマンと向上心

2013年から14年頃を振り返ると、当時は「三本(中堅以下の私立大)」の学生でも、技術に対してかなりストイックな追求心を持っていました。当時は「人人網(レンレンワン)」というSNSが流行っていて、例えばC++をマスターすると決めた学生が、自分の名前の後ろに「李明cpp」みたいに付け足したりしていました。ITオタクらしいロマンというか、自分を追い込むモチベーションにしていたんですね。

当時の学生はとにかく勤勉で、「良い仕事に就きたい」という意欲が非常に高かった。自力で技術を深掘りするタイプも多かったです。当時知り合った技術系の友人たちは、今では誰もが知る大手アプリ企業のシニアマネージャーや技術職として活躍しています。

当時は「三本卒だろうが、本人がやる気になって技術を磨けば、まず食いっぱぐれることはない」という空気感がありました。


2015-18年:忍び寄る「積みゲー」的な学習スタイル

2015年から18年頃になると、人人網は廃れ、WeChatが主流になりました。ただ、大学生の間では依然としてQQが主な連絡手段でしたね。

この時期の学生もまだ技術への追求心は持っていましたが、後半になるにつれて「形だけの学習」が増えてきた印象です。ネットの教材を買って百度雲(クラウド)に保存しただけで、勉強した気になってしまうようなタイプです。

仕事探しの難易度が少しずつ上がり始めたのもこの頃です。敏感な学生は海外、特にヨーロッパへ「箔付け」の修士留学に行き、そのまま現地で就職(潤)する道を選び始めました。今振り返れば、2018年前後のこの選択は非常に正解だったと言えます。

一方で、IT大手の採用枠はまだ健在でしたし、IT以外の伝統的な実業も好調でした。ITから実業に転身して年収200〜300万元(約4000〜6000万円)稼ぐような友人もいて、まさに「百花繚乱」の時代。当時は、ここが多くの業界にとってのピークになるとは夢にも思いませんでした。


2019-21年:ショート動画の台頭と「寝そべり族」

この時期は、ピークからコロナ禍の3年間へと突入するカオスな期間です。

2019年あたりから、211や985(中国の超名門校)の学生であっても、明らかに「質」が落ちたと感じるようになりました。偏差値に関わらず、誰もがTikTokや快手などのショート動画に没頭し始めた時期です。

私の観察では、ショート動画の台頭と大学生の全般的な思考力の低下は、驚くほど時期が一致しています。

この頃から「擺爛(投げやり)」「躺平(寝そべり)」といったネガティブな言葉が流行りだしました。単なるネット上のネタかと思っていましたが、彼らは本当にそれを「知行合一」で実践してしまった。将来何をしたいのか分からず、何かに取り組ませようとしてもハードルが異常に高い。企業側は「人がいない」と言い、学生側は「仕事がない」と嘆くミスマッチが深刻化したのもこの時期です。

また、都市部の不動産価格がピークに達し、「今買わないと一生買えない」という強迫観念が社会を覆っていました。かつての「親のスネかじり」という批判も消えました。地方から都会に出てきた若者が家を持つには、親族総出で頭金を工面する「6つの財布」を空にするのが当たり前になったからです。

そして、経済の熱狂が頂点に達したところで、コロナがすべてを一変させました。


2022-2024年:スマホ世代の「PC音痴」と極端な思想

この記事を書いているのは2024年11月。コロナが明け、日常が戻りましたが、今の大学生はさらに変化しています。

彼らの思想は非常に「紅(保守的・愛国的)」になり、自分たちの考えと少しでも違う意見には一切耳を貸さない傾向があります。その一方で、実務能力は極めて低い。

私たちの世代は、学校のパソコンの授業でソフトのインストールやタイピングを教わりました。「21世紀を生き抜く鍵は英語とパソコンだ」と叩き込まれたからです。

しかし今の世代は、物心ついた時からスマホやタブレット。学校教育も標準的なカリキュラムのみ。その結果、IT専攻の学生であっても「パソコンの使い方がわからない」「タイピングができない」「ソフトをインストールできない」という子が続出しています。まるで近所のおじいちゃん、おばあちゃん状態です。

昔、「ネットサーフィンのやり方」を教える塾で大儲けした人がいましたが、今またその手のビジネスが必要とされる時代が巡ってきたのかもしれません。


💡 まとめ

現在、私たちが接する大学生の学歴(偏差値)はどんどん上がっていますが、全体的な実務レベルは数年前の三本卒の足元にも及びません。

これはあくまで私の長年の観察結果であり、その原因を深掘りするつもりもありません。個人にできることは何もないからです。賢い相手には賢いなりの、愚かな相手には愚かななりの戦略で向き合うだけです。

さて、そろそろ仕事(トレード)に戻ります。