起業して店を出すのって、ギャンブルに似てない?

なぜ「店を出す」のか

周りの友人たちを見ていると、会社勤めに嫌気がさしたり、一旗揚げたいと考えたりして、会社を辞めて起業する人が何人かいます。彼らとビジネスのアイデアについて話すと、大抵は「店を開く」ことからスタートしようとします。

実際のところ、みんなの感覚では、店を開くことは「起業」ではなく「商売(商い)」と呼ばれます。「商売」という言葉なら、大きなビジネスもあれば、小さな商売もある。もし誰かに「会社を辞めて小さな商売を始めるんだ」と言えば、とりあえずやってみるんだなと思われますが、「会社を辞めてデカいビジネスをやる」なんて言えば、十中八九「詐欺にでも遭ったのか?」と疑われるでしょう。

ただ、店を一軒出すというのは規模が小さすぎて、世間一般が抱く「起業」のイメージとはギャップがあります。みんなが思い描く起業は、会社を設立して、ゼロから大きく成長させ、最終的にはジャック・マー(馬雲)のようになるという、胸が高鳴るようなストーリーです。「起業する」と大見得を切ったのに、実はただ店を一軒出しただけだと知られたら、なんとなく格好がつかないものです。

どうやって店を出すか

普通はまず、「誰からお金を稼ぐのか」を決めなければなりません。例えば飲食業でも高級店と大衆店があります。新築マンションの近くに安い定食屋を出せば、客層は内装職人や建設作業員になるでしょう。逆に都心で高級な日本料理店を出せば、客層はホワイトカラーの会社員になります。

ターゲットから本当にお金を稼げるかどうかは分かりませんが、一つ確実なのは、大家さんは大喜びするということです。あなたのせいで、大家さんの収入は安泰なのですから。

一般的に、開店の最大コストは家賃と内装費です。これらをクリアした後は、商品の仕入れ・販売・在庫管理、そしてスタッフの雇用と教育が待っています。多くの飲食店を見てきましたが、スタッフ教育が全くできていない店が目立ちます。正確にはスタッフではなく、ただの「手伝い」レベルです。結局、スタッフがワンタンをテーブルまで運ばないといった些細な理由で、いつの間にか店は潰れてしまいます。

自分で店を出した多くの友人と話し、実際に店を観察してきました。タピオカ屋、日本料理店、アイスクリーム屋、ハンバーガーショップ、コピー店、菓子店、写真スタジオ、旅行代理店、コンビニ、不動産仲介、子供向けの習い事教室……。最終的に生き残ったのは、菓子店だけでした。

なぜ死亡率が高いのか?

素人の多くは、店が儲かるまでのプロセスを単純化しすぎています。店を借りて、内装を整えて、商品を並べれば、自然と客が来ると思い込んでいるのです。客が自分を養ってくれるかどうかは運任せ。「もしかしたら店がバズるかも」なんて期待して、年収1000万超えを夢見ています。

こうした認識で店を出すから、開店が「ギャンブル」になってしまうのです。家族から600万〜800万円ほど借金し、完璧なフローも考えないまま、「一丁やってやるか」と勢いだけで突っ込みます。少しでも遅れたら市場を他人に奪われる、とでも焦っているかのように。

大抵の場合、失敗の原因は「よく分からない設備」「素人同然の内装」「原材料の供給トラブル」「膨れ上がる家賃」「バカな共同経営者」「使えない店員」、そして「根拠のない熱意だけで飛び込んだこと」に集約されます。

新米が十分な調査もせずにこの業界に足を踏み入れれば、結局は「ゲームオーバー」になる運命なのです。

ギャンブルに似ていないか?

私に言わせれば、どんな業界であれ、店舗経営は株式トレードによく似ています。例えば、詳細もよく分かっていないのに店を出すのは、勝手な思い込みで「この株は上がる」と踏んで買い(ロング)を入れるようなものです。そう、開店とはその店に対する「ロング」であり、しかも中国株のように「買い」しかできず、「空売り(ショート)」ができないゲームなのです。

ただし、店と株が決定的に違うのは、株なら下がった時に「損切り」ができる点です。1000万円分の株が900万円に下がった時に損切りすれば、損失は100万円で済みます。しかし、店に1000万円投じた場合、その店を買い取ってくれる相手(カウンターパーティ)なんてそう簡単には現れません。そうなれば、待っているのは「強制ロスカット(破産)」です。

こう考えると、金融トレードもそれほどギャンブルには見えてこないでしょう? 起業した人が「これなら株をやってた方がマシだった」と気づくのは、こういう理由からです。金融の視点で見れば、店を出すことは「流動性の低い資産をロングすること」であり、かつ「損切りが極めて困難な状況」に身を置くことなのです。

安易に「簡単そうに見える業界」に飛び込もうとしている友人たちを、私は引き止めたい。もし自分が賢いと思うなら、まずは株や仮想通貨を試してみればいい。そっちの方が簡単です。「買い」と「売り」のボタンが二つあるだけで、チャートは全世界共通。その「透明かつシンプル」な市場で、果たして自分がお金を稼げるかどうか、試してみることです。

マイホームを買うのって、ギャンブルなのかな?

もし中国で育った子供が、必死に働いて数百万(元)貯めたとする。それが親にバレたら、十中八九「家を買え」と言われるだろう。

「持ち家」への執着

僕はこうした執着を、一言で「不安全感」と呼んでいる。中国では家に紐付いているものが多すぎるからだ。教育、医療、戸籍……。これらがあるせいで、多くの人、特に親世代は「家を持ってこそ大都市に足場を築いたと言える」「家があってこそ家庭だ」と思い込んでいる。

しかし、不動産価格がかなり下がった今でさえ、普通のサラリーマンや一般家庭出身の若者にとって、その価格は依然として恐ろしいレベルだ。

もちろん、中国には「義母経済」という言葉もある。義理の母が求める条件、つまり「家と車」を男が用意できなければ、結婚すらおぼつかない。

中には「一生賃貸でいい、そうすれば(国や資本の)カモにされずに済む」と開き直る若者もいる。だが、その道を選んだ後に何を突きつけられるか、彼らは理解しておく必要がある。

  1. 親からの「結婚しろ、子供を作れ」という圧力
  2. 相手の親からの軽蔑
  3. 親戚一同からの陰口
  4. その周囲からのさらに執拗な陰口
  5. 「借りる側」と「持つ側」の権利格差による、いつ追い出されるかわからない不安
  6. 子供ができた時の戸籍や学校の問題

こうした攻撃を何度も何度も跳ね返せる自信があるなら……君は本当に大したものだ。

だが、住宅購入とそれに紐付く全ては「陽謀(公然の罠)」であり、大多数の人にとって、これは解きようのない詰みゲーなのだ。

住宅購入はギャンブルか?

この問題はよく議論されるが、僕は金融トレードの視点から分析してみたい。

仮に手取り月収が1万5000元で、500万元の家を買いたいとする。親に泣きついて頭金30%(150万元)を出してもらい、残りの350万元を銀行から借りる。

ローン計算機で、元利均等返済、金利3%として計算してみよう。

毎月の返済額は約1万4000元、それを30年続ける。総返済額は531万元だ。つまり350万借りて、531万返す。30年間の利息は約181万元。言い換えれば、30年かけて181万元を余分に「寄付」するわけで、年間平均6万元のコストだ。

月収を覚えているだろうか?1万5000元だ。給料のほぼ全てがローンに消える。生活費は、まともな奥さんを見つけて助けてもらうしかない(まだ子供の教育費は入れていない)。

この時点で家を買うということは、その家を「ロング(買い)」するレバレッジ契約を結んだのと同じだ。管理費などを無視しても、30年のローンが残っている以上、現物を所有しているとは言えない。これは30年間の「無期限先物コントラクト」であり、君に問題が起きない限り、銀行が強制決済(ロスカット)することはない。

年収を24万元(月1.5万×16ヶ月分)とすると、レバレッジ後の理論値である531万元に対して、約22倍のレバレッジをかけていることになる。22倍なんてほぼギャンブルだ。現物が5%下がれば、本来なら証拠金割れで破綻するレベルだ。(もちろん、このレバレッジは年々下がっていくが)。

ここで一点、見落としていることがある。「対戦相手(カウンターパーティ)」は誰か?デベロッパー?違う、銀行だ。君が家をロングしている一方で、銀行は君の人生をショート(空売り)している。

銀行の視点に立てば、一人の人間が30年間、一度も災難に遭わない確率は極めて低い。君や家族が重病を患うかもしれない。突然失業するかもしれない。生活に異変が起きるかもしれない。社会的な大災害や、業界の構造的な失業が起きるかもしれない。

神の視点から見れば、生産手段を持たない中産階級が、こうした突発的な衝撃に抗うのは不可能だ。しかし、卒業したてで意気揚々としている若者たちは、往々にして短視眼的で、「努力で階級上昇を成し遂げた」と無邪気に信じ込んでいる。

結びに

金融トレードの世界では、多くの人が「試合の途中でシャンパンを開けて(勝ち誇って)」自滅する。もしトレードで破産したなら、また入金して一発逆転を狙うこともできる。運が良ければ解決するだろう。

だが、もし人生が「強制ロスカット」されたら、元本を取り戻す術はない。なぜなら、君の青春はもう、どこにも残っていないのだから。

働かない理由

初めての仕事

大学を卒業して最初の仕事は、上海・陸家嘴にある某銀行のIT部門だった。

でも、上海に行くのはそれが初めてで、右も左もわからない状態。まずは家探しからだった。周知の通り、上海で部屋を借りるのは至難の業だ。一番の理由は家賃の高さ。自分に合っていて、かつ予算に見合う物件なんてそうそうない。

初出勤の日、遅刻は厳禁だ。自分なりにかなり早起きして、卵2個と牛乳1杯を流し込み、ノートPCを担いで地下鉄に飛び乗った。地下鉄が上海の街を駆け抜けるたび、どの駅からも人がなだれ込んできて、車内はすし詰め状態。幸い、僕は遠くに住んでいたから座ることができた。

隣に座っていたのも若い男の子で、ノートPCを開いて何かを眺めていた。技術ドキュメントだろう。年齢も僕と同じくらいに見えたし、きっと彼も新卒なんだろうなと思って、声をかけてみた。「よお、君もエンジニア?」

彼はちらっと僕を見て、「そうですよ」と答えた。お互いのスイスアーミーのバックパックとチェックのシャツを確認し合い、TCPの3ウェイ・ハンドシェイクが成立した。

僕は聞いた。「仕事中なの?」

彼は画面を見つめたまま、「いえ、勉強です」と言った。

僕は驚いた。「こんなに混んでてうるさい地下鉄の中で、勉強なんてできるの?」正直、こんなカオスな環境で勉強しようと思いつくこと自体、僕には信じられなかった。

彼は真面目な顔で言った。「ええ、少しでも進めたいんです。時間は大切にしたいし、学んでおいて損はないですから」

僕は相槌を打ったけれど、心の中にふと、ある思いがよぎった。「僕も将来、こうなっちゃうのかな?」

急に恐怖が込み上げてきた。こんな風にはなりたくない。ひしめき合う群衆を眺めながら、僕は初めて上海という街の、この息の詰まるような空気感に恐怖を覚えた。

働き始めてしばらくして、僕は仕事の意味、そして「なぜ働くのか」について考え始めた。

思考を整理してみよう。

子供の頃からずっと、僕の主な目標は「しっかり勉強して、いい成績を取ること」だった。すべてはいい大学に入るため。いい大学に入るのは、いい仕事に就くため。いい仕事に就くのは、お金を稼ぐため。お金を稼ぐのは、都会で家や車を買い、奥さんをもらうため。

つまり、これまでの努力の目的をまとめると、結局は「金」という二文字に行き着く。

じゃあ、なぜ「雇用」されて稼がなきゃいけないのか? それは僕が生産手段を持っていないからだ。だから誰かの下で働くしかない。新卒が社畜になる理由は、生産手段を持っていない、ただそれだけのことだ。

では、一生懸命働いて昇進できる確率はどれくらいか? 周りの同僚を観察した結果、大したことはないという結論に至った。じゃあ、やりたくもないこと——上司との飲みニケーションや、おべっか、世渡り上手なマナーや「高いコミュ力」とやらを身につける必要があるのか? 答えは、イエスだ。だから僕は会社員に向いていない。そんなことしたくないから。

じゃあ、自分を追い込んでコミュ力を磨けるか? 上司に気に入られるような可愛い奴になれるか? 無理だ。僕は嫌なことはしたくないし、自分に嘘をつくのもごめんだ。これが、僕が辞めるべき理由だった。

辞めた後、どうする? 収入がなくなって、本当に幸せになれるのか? それはわからない。今より良くなるかは不明だけど、少なくとも「自分の嫌いな自分」にはならずに済む。そう確信して、僕は潔く辞表を出した。

辞めた後、どうやって食っていくか。

当時の僕は、毎日早起きしたくなかった。早起きは心身の健康に悪い。コミュ力なんて高めたくなかった。バカだと思った奴とは口をききたくない。周りに無能な同僚がいてほしくなかった。アホと同じオフィスにいたくなかった。だから辞めた。

正直、辞めた直後の無収入はきつかった。毎月の家賃も払わなきゃいけない。僕は自分を追い込むのが嫌いだから、シェアハウスなんて選ばずワンルームを借りていた。家賃は当然高い。仕事がない状況で、これはかなりの痛手だった。

そんな時、暇そうにしている僕を見かねた友人が、江蘇省の地方都市でのネットワーク構築プロジェクトを紹介してくれた。人生で初めて、1週間で8万元(約160万円)稼いだ。もちろん単発だけど、最高の滑り出しだった。その後、浙江省の仲間がネット関連のプロジェクトに誘ってくれた。2年後、僕は自分の街の都心に、キャッシュで1軒目の家を買った。……その後、2軒目も。

時々、誰かにこの話をすると、「仕事をやめるには勇気がいるよね」と言われる。客観的に見れば、僕は幸運だった。プロジェクトに誘ってくれる仲間がいて、いい話を共有してくれる友人がいたから。

でも、もしあの時辞めていなかったら、そんなチャンスに巡り合うことさえなかったんじゃないだろうか?

ある動画を思い出す。

「全ツッパ(シャーハ)!全ツッパだ!」

今の学校って、なんでこんなに疲れるんだろう

中国人が一番よく口にするのは、「どんなに苦しくても子供にだけは苦労させたくない」「どんなに貧しくても教育だけは妥協しない」という言葉だ。

つまり、子供が生まれた瞬間に自分は「弱点だらけの人間」になり、すべてを子供に譲り、何よりも子供を最優先にする。たとえ自分や子供が不当な扱いを受けたとしてもだ。

「不公平」と言っても、実はとても曖昧な言葉だ。少なくとも私たちが育ってきた環境では、親や教師と「公平さ」について議論する資格なんてなかった。結局、自分という「弱点」は外向けのものであって、内側(家庭内)では弱点扱いされない。だから親は、あらゆる道徳的な脅し(モラルハラスメント)を使って子供をコントロールしようとする。

「苦労してこそ、ひとかどの人間になれるんだ」

「せっかく苦労して学校に行かせてやってるのに、その態度はなんだ?」

「お父さんとお母さんがお前のためにどれだけ犠牲を払ってきたか分かってるのか? 本当に分からず屋だな」

「なんで他の子はちゃんとできるのに、お前だけできないんだ? お前の方に問題があるに決まってる!」

「少しは自分を振り返って反省したらどうだ?」

(目に浮かぶ光景だろう?)

こうした呪縛は、大人になった今でも私たちの思考や行動を縛り続けている。「自分のやっていることが、自分を必死に育ててくれた人たちに迷惑をかけているんじゃないか」と、常に罪悪感を感じてしまうんだ。

最近ではネットの発達で「保護者グループチャット」なんてものができ、教師が親を振り回せるようになった。しかも、中国人は子供を持つと被害妄想に陥りがちだ。「上」が決めた目標に従わなければ、自分や子供が「上」から嫌がらせを受けると思い込んでいる。

こうなると、『群衆心理』に書かれているような光景が具現化する。ほとんどの人は、その事の合理性を疑おうともしない。

コロナ禍の時、マンションの警備員が急に権力を持った途端、自分が偉くなったと勘違いしたのを思い出す。一部の教師もそれと同じだ。

親は「弱点(子供)」を抱えながら、教師の理不尽に耐えてたくましく(?)育っていく。これをおかしいと思う人はほとんどいないし、たとえ気づいても、被害妄想から「波風を立てないのが一番だ」と考え、愚痴をこぼしながら耐えてやり過ごす。

これが教師側に「親のデッドラインはいくらでも下げられる」という最高の手本を見せてしまった。その結果、親に押し付けられる仕事はどんどん増えていく。

どうせ耐えれば済むことだ。明日もまた「弱点」を学校へ送り届け、教師の棒読みプレゼンを聞き続けるのか?

ふと思った。もし子供の親が市共産党委員会の書記だったら、教師はそんな口を叩けるだろうか?

結局、親の立場が弱いせいで、底辺同士が足を引っ張り合っているだけなのだ。

なんでサイバーセキュリティ業界って、こうも痛い奴らばっかりなの?

ここは、幼稚な「巨大児」とバカがうじゃうじゃいる業界だ。そいつらのせいで、業界全体が低スペックな人間の溜まり場に成り下がっている。

〇〇セキュリティチーム

この業界の特徴は、誰でも勝手に「〇〇セキュリティチーム」を名乗れることだ。

WeChatの公式アカウントを作れば「〇〇チーム」、掲示板を立てれば「〇〇コミュニティ」、スクリプトキディが数人集まれば「〇〇グループ」……。

名前だけは凄そうだが、実態は大学生のサークル活動レベル。少し突っ込んで聞くと、「うちは〇〇のレッドチーム出身がいる」とか「〇〇の脆弱性ランキングで何位だ」とか、偉そうにふんぞり返る。

子供の頃、小学生数人で集まって「江南七怪」を気取っていたのと大差ない。

〇〇セキュリティ研修

企業研修をやっていた頃、セキュリティ講師の知り合いが何人かいた。ネットで検索して出てくる講師は、Bilibiliやテンセント、個人サイト、公式バックアップのあるオフライン講師まで、君が思いつく限りの人間を私は知っている。

今のセキュリティ研修なんて、どれもWebペネトレーションの焼き直しで、カリキュラムはコピペ。最近の講師は、自分でコードを書いたりコード監査をしたりできる奴すらほとんどいない。

「SRC脆弱性発掘コース」なんて、結局は昔のツールで脆弱なURLを叩いていたスクリプトキディ時代に逆戻りしただけ。今の研修は、それを小綺麗にパッケージ化した「お洒落なスクリプトキディ」養成所に過ぎない。

ちょっとかじった程度で研修を始めて、カモを刈り取る。カモの方も、sqlmapを叩いてデータベースのパスワードを抜くのが「何年も修行が必要な超絶技巧」だと信じ込んでいるから、ハッカーへの憧れを抱いてバカな講師に金を払う。そして後になって、自分がカモられたことに気づくんだ。

実際、北京の某機関で500万円も払って学んだ学生が、現場でBurp Suiteすら使えなかった(誇張じゃなく、マジで)なんてケースも見てきた。

バカな研修機関がスクリプトキディを大量生産し、そいつらが経歴を盛り、「コード監査ができる」「脆弱性を見つけた」「HW(演習)に参加した」と嘘をついて業界に流れ込む。そうやってゴミがどんどん増えていく。

ゴミが増えれば、仕事はブラック化する

業界にゴミが溢れた結果、HR(人事)は履歴書を信じなくなり、学歴というハードスペックで足切りをするようになった。リストラされるのは、決まって低学歴のエンジニアだ。

学歴は、少なくとも受験戦争を勝ち抜いた「学習能力」の証明になる。セキュリティ業界には、そこまで替えのきかない高度な技術なんてほとんどない。なら、「高学歴+技術あり」を残すのは当然だ。たとえ技術が少し劣っていても、学習能力があれば教えれば済む話だから。

かつて、この業界は野蛮な成長期にあり、草の根出身や低学歴の独学派にもチャンスがあった。だが、中国人の「悪知恵」にかかれば、そんな業界もあっという間に食い潰されてしまう。

自己紹介をさせて

どうも、Alexです。ここは僕のブログです。

これまでは長年IT業界にいて、主にサイバーセキュリティをやってました。具体的にはペネトレーションテスト(侵入テスト)や脆弱性診断、企業研修なんかですね。まあ、そんなところです。

最初の仕事は上海・陸家嘴にある銀行だったんですが、少しして辞めちゃいました。早起きが苦手で。それ以来、どこかに勤めるという形では働いていません。

サイバーセキュリティも金融トレードも、あくまで僕の趣味です。趣味は仕事にするもんじゃないし、KPIなんてあってたまるかって思ってます。

今は主にBTC(ビットコイン)のクオンツ・トレードで食ってます。だいたい海外にいますね(クリーンなものを食べたいので)。

このブログには、僕のリアルな経験や感じたことをそのまま書いています。メンタルが弱い人は、あまり深入りしないほうがいいかもしれません。

検索エンジンの膨大なデータの中で、こうしてあなたと出会えたことに感謝します。

メール: [email protected]

サイバーセキュリティって、実はまやかしなんじゃないかな

トレーダーになる前、僕の主な収入源はサイバーセキュリティだった。だからブログにもこの業界の話をよく書いていたんだけど、まずは一つ、こんな話をしてみよう。「サイバーセキュリティって、実は偽りの命題(フェイク)なんじゃないか?」

絶対的に安全なネットワークなんて存在するのか?

ハッカー文化に「心酔」している人の多くは、「絶対安全なネットワークなんてない」と言う。僕も中学でセキュリティーを学び始めた頃はこの言葉にシビれたもんだ。「技術さえ極めれば無敵になれる、脆弱性を見つけてエンターキーを叩けば一瞬でシェルが取れる」なんてね。

でも、いざ本気で勉強して業界に入ってみると、気づくんだ。「絶対的に安全」なネットワークなんて、実はいくらでもあるってことに。

周知の通り、この業界には「護網(HW)」と呼ばれる演習がある。みんなHWとかHVVとか略して、まともに言わないけどね。要はブルーチームとレッドチームに分かれた攻防シミュレーションだ。大学生も小遣い稼ぎやマウント取りに参加したりする。

中でもレッドチームはみんなの憧れだ。行けない奴らは羨望の眼差しを向ける。僕も最初は「初級ブルー」だったけど、努力すればレッドに近づけると思ってた。でも実際に入ってみたら、レッドなんて大したことない。大手のラボにいる凄腕たちだって、別に魔法を使ってるわけじゃないんだ。

どんなに天才的なハッカーでも、攻撃するには基本的なネットワーク通信プロトコルの原理に従うしかないからね。

じゃあ、「絶対防御」は存在するのか?

ごく簡単な例を挙げよう。VPSを一台借りて、SSHログインのみ許可する。パスワードは16桁の英数字・記号のランダムな組み合わせ。その中にDockerでMySQL+Nginx+WordPressの構成を組み、記事を一つ投稿する。タイトルは「クソ喰らえレッドチーム、かかってこいよ」。ポートは22、80、443以外すべて閉じ、22番ポートには「パスワードを一度でも間違えたら即IP BAN」というスクリプトを仕込む。ドメインを買った瞬間からサイト全体にCloudflareを噛ませる。

この単純な構成だけで、国内のいわゆる「ハッカー先生」たちの99%は手も足も出ないと断言できる。彼らが突破できる可能性があるとすれば、僕のリアルIPを特定するか、NginxやWordPressの0day(未公開の脆弱性)を見つけるか、あるいは将来0dayが出るのを待つしかない。今この瞬間にこのサイトを落とすなんて、まず不可能だ。

これって、シンプルだけどほぼ「絶対防御」の事例だよね?大物ハッカー様が、自分たちをバカにしている相手に手も足も出ない。そう、ハッカーなんて外野が思っているほど万能じゃないんだ。

じゃあ、なんで世の中にはこんなに脆弱性が溢れているのか?

もし僕が会社を立ち上げるとして、さっきのシンプルなサイトにサブドメインを増やし、色んなサービスを展開するとしよう。一人じゃ回らないから、プログラマーを大量に雇う。中には「コメント欄でポップアップが出る(XSS)」ことの意味すら分かっていないような連中もいるけど、社畜として毎日コードを書いてくれる。

ここで初めて、サイバーセキュリティ業界が育つ「土壌」ができる。雇った連中が一体どんなクソコードを書いてるか、僕には把握しきれないからだ。人が増えれば増えるほど、脆弱性も増える。ひどい時には、人事が採用した大学生が作った管理画面のログイン認証が、某大手企業のサイトみたいに「JavaScriptで止めてるだけ」なんてことすら起きる。

要するに、関わる人間が増えれば増えるほどバカも増える。バカが増えれば脆弱性が増える。脆弱性が増えれば、サイバーセキュリティという商売が成り立つ。それだけのことだ。

結局、サイバーセキュリティは偽りの命題なのか?

技術的な面で言えば、僕はセキュリティを独立した「業界」として扱うのは好きじゃない。ずっと「ソフトウェアテスト」の一分野だと思っている。例えばSRC(脆弱性報奨金制度)でのバグ探しやペネトレーションテストなんて、実質的なワークフローはソフトウェアテストとそっくりだ。

ただ、ソフトウェアテストをやってるのは、大学で大して勉強しなかったけどIT業界にしがみつきたい連中だ。彼らがロボットみたいにスクリプトを回して退屈なチェックをしている間に、リリースされたソフトからセキュリティ屋が山ほど脆弱性を見つけて金に変える。だから、セキュリティが別枠で隔離されているのも、まあ理にはかなっているんだけどね。

中国のエンジニアってどんな感じ

自分の立ち位置が分かっていない

私が接してきた大手(アリババ、テンセント、ピンドゥオドゥオ、バイドゥ、美団など)のエンジニアたちの多くは、「こいつ、マジでエンジニアだな!」という印象。……まあ、これはオブラートに包んだ言い方で、ぶっちゃけて言えば「こいつ、エンジニア以外に道がないな」っていう。

技術的な話をするとき、彼らの目はキラキラ輝き、世界は自分を中心に回っている。だから、クライアントが理解できないなんて微塵も思わない。相手の目に「ハテナ」が浮かんでいるのに気づくと、その目は少しずつ見下すような、あるいは諦めに似た光を帯び始める。

だからクライアント側からは、一括りにこう呼ばれる。「しょせん外注の分際で」と。そう、エンジニアが最も嫌う言葉が「外注(アウトソーシング)」だ。人権がなく、差別され、食物連鎖の最底辺。たとえ社内で神扱いされていようが、フォーラムで新技術を発表していようが、「外注」という宿命からは逃れられない。

果たして、その呼び方は正しいのか? 続きを見てみよう。

自分が何をしているのか分かっていない

大学時代に、企業で働いているエンジニアと知り合ったとする。どんな会社であれ、彼らと話すと決まって「このプロジェクトは俺が立ち上げた」「この会社は俺がいないと回らない」なんて印象を受ける。

だが実際、大手や企業に入ってみると、エンジニアがコードを書いている時間は極めて短い。大半は会議、会議、また会議だ。コミュニケーションが苦手な連中ほど、コミュニケーションに時間を費やしている。そのせいで、世間には「コードを書く=ハイテク産業」という幻想が植え付けられている。

平均して1日に書くコードなんて、せいぜい50行以内。本当にやることがないのだ。それに企業側も、エンジニアの代替可能性を高めるために、ガチガチのフレームワークを用意して、決まった範囲内でしか動けないようにしている。

杭州に、アリババで高年収の「Pランク」だった友人がいる。彼は辞めた後、スタートアップに参画し、アプリ全体をチームリーダーとして作り上げた。技術力は超一流だ。しかし結局、創業メンバーは彼を連れて先へ進むことはせず、去るに任せた。

彼はひどく落ち込み、夜、私を飲みに誘ってこう溢した。「俺がいなきゃあの会社は終わりだ! 経営陣に技術が分かる奴なんて一人もいないんだぞ。そのうち泣きついてくるはずだ」

結局、チームが彼を呼び戻すことはなかった。それどころか、3日もしないうちに別のアリババ出身の猛者を見つけてきて、プロジェクトは何事もなかったかのように進んでいった。

私は彼に聞いた。「毎日、具体的に何をしていたか正確に覚えてるか?」

「ああ、分かってるよ」

「じゃあ言ってみろ、はっきりさせようぜ」

彼は、大手特有の標準的なワークフローを滔々と語った。

私は言った。「それって、短期の研修を受ければ誰でもすぐに習得できて、代わりが務まる仕事じゃないか?」

彼は黙り込んだ。

思い上がり

大抵の場合、学部や修士を卒業して就職する際、最も給料が良いのは金融かITだ。

だからIT系の連中は、長年の努力が実を結び、ついに「勝ち組」になったと勘違いする。比喩ではなく、本気で自分たちが特権階級になり、社会的地位が上がったと思い込むのだ。

なぜそんな心理になるのか、かつて上海の陸家嘴にある銀行のIT部門で働いていた自分自身の記憶を辿ってみると、理由はだいたいこんなところだ。

  1. 世間の多くの人の給料は、エンジニアの初任給あたりで頭打ちになる。つまり、彼らが昇進してようやく手にする額を、最初から(あるいはそれ以上)手にしている。

  2. 田舎のガリ勉だった自分が、今や世界有数の大都市で働き、オフィス環境も抜群。資本家も意外と悪くなく、タクシー代は出るし、食堂やジムまで完備されている。「自分もついに主役になった」と錯覚する。

  3. 給料が高すぎて、ストックオプションまである。将来上場すれば資産数億、うまくいけば社長とアメリカで鐘を鳴らせるかもしれない。

  4. 杭州のマンションが高かろうが、自分はもっと稼げるようになる。レバレッジをかければ豪邸だって買える。まだ25歳、未来は明るい。それに比べて、公務員になった同級生や国営企業に行った連中にはこう言ってやりたい。「おい、男は仕事選びを間違えちゃダメだぞ」と。

人生はマラソンである、というのは綺麗事ではない

小さな歯車がいくら速く回ったところで、摩耗すれば捨てられるだけだ。一方で、大きな歯車は工場から出た瞬間から、大きな歯車なのだ。

私から見れば、多くのエンジニアは「にわか成金」の農民のようなものだ。少し金が入ると「都会的な生活」に憧れ始める。例えば、996(朝9時から夜9時、週6勤務)の激務の後にジムへ通う。彼らの素朴な健康観では、過酷な労働を運動で相殺できると思っているのだ。そして……大手企業のエンジニアが突然死する。

それを見たクライアントの偉いさんたちは、鼻で笑っているだろう。「外注の分際で、命を惜しんでるのか?」と。

ある程度の年齢になれば、エンジニアにも家庭ができ、守るべきものが増える。資本家からすれば、これほど扱いやすい存在はない。弱みを握られ、大手の肩書きはあるが外では仕事が見つからない人間ほど、御しやすいものはないのだ。

その時になって、彼らはかつて見下していた国営企業や公務員の友人たちを見て、何を思うのだろうか。

世の中には、金では測れないことがたくさんある。ましてや、雇われの身で稼ぐ金など、たかが知れているのだ。