人生にはいろんな形のギャンブルがあるけれど、僕に言わせれば、それが本当にギャンブルかどうかはもう一歩踏み込んで考える必要がある。つまり、「ギャンブル」を再定義してみるんだ。
まずは、百度(バイドゥ)で「ギャンブル」の理論的な定義を調べてみよう。
「ギャンブルとは、カードやサイコロなどを用い、価値のあるものを賭けて勝敗を争うゲームであり、人類の娯楽の一種である。文化や歴史によって意味合いは異なるが、西洋社会では経済的な定義として『不確実な結果を伴うイベントに対し、より多くの金銭や物質的価値を得ることを主目的として、金銭や価値あるものを投じること』とされている。」
これが一般的な定義だ。じゃあ、この定義に照らし合わせて、日常生活に潜む「ギャンブルではないけれど、本物のギャンブルより恐ろしいギャンブル」を見ていこう。
さあ、賭け狂いましょう(Let’s start placing bets)!
**【教育】**
大企業に勤めて月々1、2万元の給料をもらっている大人が、自分の労働価値を「学区房(名門校の学区内にある物件)」に全突っ込みする。子供を良い学校に入れ、競争の渦に放り込む。目的は、自分がかつて叶えられなかった夢を子供に託し、将来より多くの金銭や地位を得させることだ。
でも、子供の将来がどうなるかなんて、本来は複雑で不確定な要素だらけのはず。それなのに、学区房を買い、塾に大金を注ぎ込んだ親たちは、いつの間にか「ギャンブラー心理」に陥ってしまう。子供に過剰なレバレッジをかけ、「裏切ることは許さない」と期待を押し付ける。
その結果、若い親たちも、かつて自分が嫌いだった大人へと変貌していく。「こんなに苦労して食べさせて、何不自由なく育ててあげたのに、なんで成績が上がらないの? パパとママに申し訳ないと思わないの?」感情を抑えられない親は、ヒステリックに叫び散らす。
これって、カジノのテーブルでずっと「バンカー」に賭け続けているのに、毎回「プレイヤー」が出て発狂しているギャンブラーと同じじゃないか? 「なんでバンカーに賭けてるのにプレイヤーが出るんだ! 俺をバカにしてるのか!」と。ただ、カジノなら「確率の問題だ」と諦めもつくが、子供相手のギャンブルでは、親は「全勝」以外の結果を認められないんだ。
**【不動産】**
2008年頃から不動産価格は爆上がりした。地方の小さな町でさえ平米1200元から8000元になり、大都市なら言わずもがな。立ち退きバブルも重なって、周りにはリアルな「成金二世」が溢れかえった。
80年代・90年代生まれが経済力を持ち始めると、当然この不動産バブルの波に乗ろうとした。でも、その頃には二線級以上の都市の価格は平米3〜4万元。100平米の家を買うのに400万元もかかるが、給料はそれに見合うほど上がっていない。
それでもみんな計算した。「400万の家が倍になるのは無理でも、10%くらいなら上がるだろう。400万の10%は40万。これってすごい金額だぞ」と。
こうして人々はレバレッジをかけて家を買う。「不確実な結果に対して、金銭を投じ、より多くの利益を得る」——これこそ定義通りのギャンブルじゃないか? 一般のサラリーマンが銀行から借金し、自分の未来の20〜30年を賭けて、一攫千金を狙う。なのに誰もこれを「ギャンブル」とは呼ばない。しかも「借金してまでやるギャンブル」なのに。
コロナ後、多くの地域で価格が暴落した。家2軒分の価値が1軒分にまで下がった友人もいる。完全に「負け」だ。それでもみんな、これがギャンブルだったことも、自分が負けたことも認めようとしない。そしてこう強がるんだ。
「まあ、家はそこにあるわけだし!」
「30年かけてゆっくり返せばいいさ。30年後には金の価値なんて下がってるよ!」
彼らは信じている。30年後にはインフレで借金が目減りし、家を売れば誰かが高値で買ってくれて、土地はずっと自分のもの、建物の管理もずっと万全で、何より自分自身がこれからの20〜30年、病気もせず、リストラもされず、何一つ悪いことは起きないのだと。
